
2024年09月01日
第2回「2024不登校生のための進路相談会」を開催しました
8月25日、第2回「2024不登校生のための進路相談会」を開催しました。
参加者は21名(うち子ども5名)、昨年度から子どもの参加が増えてきました。参加の対象は、小学生から高校生まで幅広くありました。
前回に引き続き、水窪町から湖北高校佐久間分校の紹介に、平澤文江さん(元佐久間分校の保護者、NPO法人まちづくりネットワークWILL代表)が来てくださいました。初めて聞く話に、前回もそうでしたが、説明会のあと平澤さんとお話する方がいました。
【湖北高校佐久間分校の紹介】
佐久間分校は、学校になじめない、不登校の生徒の受け入れを積極的にしている。
生徒の受け入れは、上手くいっていることが多いと感じている。
いま、20歳の息子は中2から起立性調節障害で朝血圧が低く、学校になんとか遅刻していく状態だった。中学時代の学習が遅れた息子を受け入れてくれた。3年間寄り添ってくれて、学校と連携しながら3年間通うことができた。
一時不登校の状態ということを本人も家族も気が付いていなかった。超小規模校で環境がいいと後ろめたい気持ちもなく、全く気が付かずにいることができた。
一学年15~20人で、2年から進学と就職コースに分かれ、進学コースは文系と理系に分かれる。息子は物理を選択し、2年間先生とマンツーマンで、とても成績を伸ばしてもらい、大学に進学した。環境が大きく変わることで、自分の望んでいたイメージが大きく変わることがあると思う。
佐久間・水窪の子どもは、地元以外の高校では通学ができない。寮があるところもあるが、いまはほとんど下宿がない。どうするかというと、ほとんどはお母さんが子どもについていき3年間過ごして卒業したら親は戻ってくる。子どもは進路に沿って出ていく。
家庭の事情が許せば、山村留学のつもりで一緒に楽しく3年間山暮らしを楽しむ方法もある。
佐久間分校の寮(男子のみ)もあるが、寮以外に住むところを探すなら、空き家の紹介もできる。家賃は3~5LDKで1~3万円くらいです。
今回の体験談は、保護者の体験談になります。
小学2年生から不登校になり、通信制高校を卒業して専門学校に通っているSさんのお母さんのお話です。質問者は、当会のメンバーの西村です。
西村:Sさん袋井市からです。小学校3年の時にフリースクールに入って一番小さかったのでみんなから「Sちゃん」と可愛がられていた。私も今でも「Sちゃん」と言ってるので「Sちゃん」と言わせていただきます。Sちゃんが最初に不登校になった時のところから、お話をお願いします。
Sさん:私からの一方的な話になりますが、すみません。理由はいじめや何か大きな出来事があったわけではない。
何か小さいことの積み重ねのようです。マイペースで、学校の枠に合わなかった。わんぱくで田植えでどろんこになる子だった。不登校になって、おとなしい、話すのが苦手になってしまった。
私が仕事していた時に学童に行っていた。学先生方もわりと厳しい方で。もう少し遊びたいたいときに勉強をやれなくて「いつもSくんだけ」と怒られたりした。
西村:小学校に入ってから漢字の止めはねで厳しく言われて、漢字を書くのが怖くなったことがありましたね
Sさん:1年になって担任が厳しい方で、字を書くのは苦手で失敗するのが心配だったので書いていってダメと言われるのは怖かった。書き取り宿題があっても、書き取り帳を前に30分くらい書けない。頑張って書いていった漢字の止めはねがダメだとチェックされた。先生に手紙をかいて「頑張って書いたので、丸を上げてください」と伝えたこともある。いまも字を書くのが苦手だけど、いまはパソコンで済んでいるが住所や名前を書くときはスマホの字を書き写している。
西村:フリースクールでは勉強は強制しないが、中学生になった時に、久しぶりに数学のプリントをやるとき、まず名前を書いてって言った時に「自分の名前の漢字がどうだっけ」と言われて、少しずつ教えた。
西村:中学生くらいになって返事をしてくれなくなったり、何カ月か休んだ時もあり、思春期は大変でした?
Sさん:話しかけても話してこない、家族で外食に行っても車から降りてこないので食べずに戻ってきたり、半分引きこもりきりになってフリースクールにも行けなくなった。
病院にかかっていて、思春期なったら大変になるよとは聞いていたが、直面するとどういたらいいのかわからないと困ったときがあった。
西村:Sさんは高校行かないって思っていたが、第一学院にはいりました。決めたあたりのことをお願いします。
Sさん:第一学院は自分で最終的に決めました。上の子も高校で、不登校になったので、そのときにいろいろ私立通信制高校へ行ってので、特徴はわかっていた。フリースクールで仲の良かった先輩が通っていたので、早い時期に体験に行ったとき、学校の先生が丁寧に気さくに接してくれた。月に1,2回体験という形で遊びにいっていた。
AO入試で受験したけど作文もあった。字を書くのは苦手だったけど、先生が寄り添ってくれ「将来の夢ってどう。それを作文にしてみたら」と箇条書きにしてから繋がてくれて、本人が清書をした。
西村:入学したけど、1,2年はあまり登校してなくて、タブレットで課題を提出してた?
Sさん:ほぼ紙で提出はなくて、タブレットで課題は提出して対応はできた。入学式も行かなかった。
先生との3者面談の時、週1のゲームサークルのときは通った。
小学校から学校に行ってなかったので、元小学校おじいちゃん先生に家庭教師をお願いしネットとかで回答を2人で調べてフォローしながらやっていた。
西村:私立通信は、1年に1回必ずスクーリン本校に行かなければいけないけど、行けた?
Sさん:茨木に3泊4日という形で行かなければいけない。絶対行かないと単位が取れないで卒業進学ができないので、行くのかなってすごく心配してた。当日普通に新幹線に乗って行って、3日後帰ってきた。駅に迎えに行ったら、あれ何か顔つきが違う、たくましくなったというのが嬉しかった。
西村:スクーリングに行けたと聞いてびっくりしたが、そこがクリアできたのは大きかった。自信と思った。3年になってから、登校できるようになったかな?
Sさん:2年の3学期かな?
最初は不登校とかSの特徴に理解がなかったが、父親と話をして、不安だったらまず学校行ってみたらどうか、毎日送り迎えをしてやるっていう約束したらしい。それから父親が毎日家に来て送って、授業が終わったら迎えに行いった。
西村:専門学校を選ぶにあたってはどのような流れがあった?
Sさん:大好きな、ゲームを作る仕事をしたいって思っていた。
ただ、就職を考えたら、名古屋か東京だねと言われた。浜松と名古屋、静岡に通信教育で学校みたいな学校があって、3か所に行った。
名古屋の学校の設備が一番番良かった。
私は浜松が近いし、目も届くし安心だし、通えなかったらどうしようと思ってたけど、本人も不安だった。
先生とも話したときに、先生が星取り表みたいのを作ってくれて、どれが一番いいのか、どこに一番いきたいのか、不安はなにか記入して、一番星が高かったのが名古屋だった。本人も納得して頑張ってみようかなと、自分で名古屋に決めた。
西村:名古屋まで通学は厳しいから下宿するとか寮にはいるとか考えていたけど、新幹線通学になりましたね。
Sさん:袋井からなので、通学は厳しいだろうと思っていたけど、本人が一人暮らしに不安があり、家から通うことになった。新幹線通学は経済的に負担が大きいが、いままで学校に通っていなかったので、2時間の通学はきついだろうと思って、新幹線にした。
いま、3年生ですが皆勤です。周りはみんなびっくりです。
西村:好きなことをしたり、仲間ができたり、ご飯を食べにいったり、そんなことで子どもは変わると実感します。
Sさんの例が成功例みたいに聞こえるかもしれませんが、この先もいろんなことがある。
不登校であろうとなかろうと、人生にはいろんな困難がある。たまたま、いまお子さんが不登校であっても、学校に行った子が一生幸せかといったらそうでもないので、長い目でみてSくんみたいなこともある。不登校も学校も人生のごく一部です。
最後に、今日出席されたみなさんに向けて、何か一言あればお願いします。
Sさん:ずっと仕事をしてきて、子どもといる時間もなくて、親と同居していて、姉や西村さん、学校の先生や友人に助けてもらって、いまがあると思う。
一時期、自分が親でなければ、他の家に生まれていれば違った対応ができていたのでは思っていた。周りの人に助けてもらってばかりだったけど、頼りにするのもいいと思う。
この間、上の子に「お母さん、仕事をしていて、小さいころ何もやってあげなかったね」と話したら、「子どもは、親が思うほど一緒にいてほしと思っていない。いない方が楽だよ」と言われた。私は、一緒にいなかったこと勉強をみてあげなかったことが負い目だった。不登校だからと一緒にいて、気分が暗くなるより、私は仕事で気分転換したり、子どもはゲームをして気分転換をすることも必要なのかと思った。
あとは、タイミングと思う。子どもも家族も父親も成長して、いいタイミングで話ができて学校に行けるようになった。子どもなりにはいろいろ考えていて、成長している。親からみれば幼稚だけど、子どもを信じてほしい。待ってあげるなど、環境を整えてください。
次回は、9月15日(日)13:30~アイミティ浜松です。

参加者は21名(うち子ども5名)、昨年度から子どもの参加が増えてきました。参加の対象は、小学生から高校生まで幅広くありました。
前回に引き続き、水窪町から湖北高校佐久間分校の紹介に、平澤文江さん(元佐久間分校の保護者、NPO法人まちづくりネットワークWILL代表)が来てくださいました。初めて聞く話に、前回もそうでしたが、説明会のあと平澤さんとお話する方がいました。
【湖北高校佐久間分校の紹介】
佐久間分校は、学校になじめない、不登校の生徒の受け入れを積極的にしている。
生徒の受け入れは、上手くいっていることが多いと感じている。
いま、20歳の息子は中2から起立性調節障害で朝血圧が低く、学校になんとか遅刻していく状態だった。中学時代の学習が遅れた息子を受け入れてくれた。3年間寄り添ってくれて、学校と連携しながら3年間通うことができた。
一時不登校の状態ということを本人も家族も気が付いていなかった。超小規模校で環境がいいと後ろめたい気持ちもなく、全く気が付かずにいることができた。
一学年15~20人で、2年から進学と就職コースに分かれ、進学コースは文系と理系に分かれる。息子は物理を選択し、2年間先生とマンツーマンで、とても成績を伸ばしてもらい、大学に進学した。環境が大きく変わることで、自分の望んでいたイメージが大きく変わることがあると思う。
佐久間・水窪の子どもは、地元以外の高校では通学ができない。寮があるところもあるが、いまはほとんど下宿がない。どうするかというと、ほとんどはお母さんが子どもについていき3年間過ごして卒業したら親は戻ってくる。子どもは進路に沿って出ていく。
家庭の事情が許せば、山村留学のつもりで一緒に楽しく3年間山暮らしを楽しむ方法もある。
佐久間分校の寮(男子のみ)もあるが、寮以外に住むところを探すなら、空き家の紹介もできる。家賃は3~5LDKで1~3万円くらいです。
今回の体験談は、保護者の体験談になります。
小学2年生から不登校になり、通信制高校を卒業して専門学校に通っているSさんのお母さんのお話です。質問者は、当会のメンバーの西村です。
西村:Sさん袋井市からです。小学校3年の時にフリースクールに入って一番小さかったのでみんなから「Sちゃん」と可愛がられていた。私も今でも「Sちゃん」と言ってるので「Sちゃん」と言わせていただきます。Sちゃんが最初に不登校になった時のところから、お話をお願いします。
Sさん:私からの一方的な話になりますが、すみません。理由はいじめや何か大きな出来事があったわけではない。
何か小さいことの積み重ねのようです。マイペースで、学校の枠に合わなかった。わんぱくで田植えでどろんこになる子だった。不登校になって、おとなしい、話すのが苦手になってしまった。
私が仕事していた時に学童に行っていた。学先生方もわりと厳しい方で。もう少し遊びたいたいときに勉強をやれなくて「いつもSくんだけ」と怒られたりした。
西村:小学校に入ってから漢字の止めはねで厳しく言われて、漢字を書くのが怖くなったことがありましたね
Sさん:1年になって担任が厳しい方で、字を書くのは苦手で失敗するのが心配だったので書いていってダメと言われるのは怖かった。書き取り宿題があっても、書き取り帳を前に30分くらい書けない。頑張って書いていった漢字の止めはねがダメだとチェックされた。先生に手紙をかいて「頑張って書いたので、丸を上げてください」と伝えたこともある。いまも字を書くのが苦手だけど、いまはパソコンで済んでいるが住所や名前を書くときはスマホの字を書き写している。
西村:フリースクールでは勉強は強制しないが、中学生になった時に、久しぶりに数学のプリントをやるとき、まず名前を書いてって言った時に「自分の名前の漢字がどうだっけ」と言われて、少しずつ教えた。
西村:中学生くらいになって返事をしてくれなくなったり、何カ月か休んだ時もあり、思春期は大変でした?
Sさん:話しかけても話してこない、家族で外食に行っても車から降りてこないので食べずに戻ってきたり、半分引きこもりきりになってフリースクールにも行けなくなった。
病院にかかっていて、思春期なったら大変になるよとは聞いていたが、直面するとどういたらいいのかわからないと困ったときがあった。
西村:Sさんは高校行かないって思っていたが、第一学院にはいりました。決めたあたりのことをお願いします。
Sさん:第一学院は自分で最終的に決めました。上の子も高校で、不登校になったので、そのときにいろいろ私立通信制高校へ行ってので、特徴はわかっていた。フリースクールで仲の良かった先輩が通っていたので、早い時期に体験に行ったとき、学校の先生が丁寧に気さくに接してくれた。月に1,2回体験という形で遊びにいっていた。
AO入試で受験したけど作文もあった。字を書くのは苦手だったけど、先生が寄り添ってくれ「将来の夢ってどう。それを作文にしてみたら」と箇条書きにしてから繋がてくれて、本人が清書をした。
西村:入学したけど、1,2年はあまり登校してなくて、タブレットで課題を提出してた?
Sさん:ほぼ紙で提出はなくて、タブレットで課題は提出して対応はできた。入学式も行かなかった。
先生との3者面談の時、週1のゲームサークルのときは通った。
小学校から学校に行ってなかったので、元小学校おじいちゃん先生に家庭教師をお願いしネットとかで回答を2人で調べてフォローしながらやっていた。
西村:私立通信は、1年に1回必ずスクーリン本校に行かなければいけないけど、行けた?
Sさん:茨木に3泊4日という形で行かなければいけない。絶対行かないと単位が取れないで卒業進学ができないので、行くのかなってすごく心配してた。当日普通に新幹線に乗って行って、3日後帰ってきた。駅に迎えに行ったら、あれ何か顔つきが違う、たくましくなったというのが嬉しかった。
西村:スクーリングに行けたと聞いてびっくりしたが、そこがクリアできたのは大きかった。自信と思った。3年になってから、登校できるようになったかな?
Sさん:2年の3学期かな?
最初は不登校とかSの特徴に理解がなかったが、父親と話をして、不安だったらまず学校行ってみたらどうか、毎日送り迎えをしてやるっていう約束したらしい。それから父親が毎日家に来て送って、授業が終わったら迎えに行いった。
西村:専門学校を選ぶにあたってはどのような流れがあった?
Sさん:大好きな、ゲームを作る仕事をしたいって思っていた。
ただ、就職を考えたら、名古屋か東京だねと言われた。浜松と名古屋、静岡に通信教育で学校みたいな学校があって、3か所に行った。
名古屋の学校の設備が一番番良かった。
私は浜松が近いし、目も届くし安心だし、通えなかったらどうしようと思ってたけど、本人も不安だった。
先生とも話したときに、先生が星取り表みたいのを作ってくれて、どれが一番いいのか、どこに一番いきたいのか、不安はなにか記入して、一番星が高かったのが名古屋だった。本人も納得して頑張ってみようかなと、自分で名古屋に決めた。
西村:名古屋まで通学は厳しいから下宿するとか寮にはいるとか考えていたけど、新幹線通学になりましたね。
Sさん:袋井からなので、通学は厳しいだろうと思っていたけど、本人が一人暮らしに不安があり、家から通うことになった。新幹線通学は経済的に負担が大きいが、いままで学校に通っていなかったので、2時間の通学はきついだろうと思って、新幹線にした。
いま、3年生ですが皆勤です。周りはみんなびっくりです。
西村:好きなことをしたり、仲間ができたり、ご飯を食べにいったり、そんなことで子どもは変わると実感します。
Sさんの例が成功例みたいに聞こえるかもしれませんが、この先もいろんなことがある。
不登校であろうとなかろうと、人生にはいろんな困難がある。たまたま、いまお子さんが不登校であっても、学校に行った子が一生幸せかといったらそうでもないので、長い目でみてSくんみたいなこともある。不登校も学校も人生のごく一部です。
最後に、今日出席されたみなさんに向けて、何か一言あればお願いします。
Sさん:ずっと仕事をしてきて、子どもといる時間もなくて、親と同居していて、姉や西村さん、学校の先生や友人に助けてもらって、いまがあると思う。
一時期、自分が親でなければ、他の家に生まれていれば違った対応ができていたのでは思っていた。周りの人に助けてもらってばかりだったけど、頼りにするのもいいと思う。
この間、上の子に「お母さん、仕事をしていて、小さいころ何もやってあげなかったね」と話したら、「子どもは、親が思うほど一緒にいてほしと思っていない。いない方が楽だよ」と言われた。私は、一緒にいなかったこと勉強をみてあげなかったことが負い目だった。不登校だからと一緒にいて、気分が暗くなるより、私は仕事で気分転換したり、子どもはゲームをして気分転換をすることも必要なのかと思った。
あとは、タイミングと思う。子どもも家族も父親も成長して、いいタイミングで話ができて学校に行けるようになった。子どもなりにはいろいろ考えていて、成長している。親からみれば幼稚だけど、子どもを信じてほしい。待ってあげるなど、環境を整えてください。
次回は、9月15日(日)13:30~アイミティ浜松です。
