2023年12月22日

第4回「2023 不登校生のための進路相談会」が終わりました。

報告が遅れましたが、11月26日に第4回「2023 不登校生のための進路相談会」が終わりました。
参加者は、21名(子ども4人)で、駆け込み申し込み、当日参加が多くありました。
今年度の参加者は、小学生から高校生までの91名と昨年度より20名近く増加しています。子どもの参加も13人と多く、数名の子どもからは、個別相談や立ち話で進路をと考えている様子を聞くこともできました。コロナ禍明けのためか、不登校の増加の影響はもあるのでしょうか。
今年も大平台高校定時制の川村先生と浜名高校定時制の中村先生が参加して、情報提供や個別相談にも対応してくださいました。
昨年から行っている参加者アンケートでは、相談会で丁寧に伝えている「子どもの状況にあった進路時期と進路先を選ぶこと」を聞いて、子どもの不登校を受け入れることができましたというご意見が多くなりました。
相談会は、来年度も開催予定です。告知は、このブログ、Facebookで行います。

今回の体験談は、リースクールで過ごしながら静岡中央高校を卒業したNさん、Sさんです。先月結婚して同じ姓になりました。
質問者は、当会のメンバーの西村です。

西村:二人ともそれぞれ過去に進路相談会で体験談を話してもらったことがありますが、その時と今、何年か経ってるので状況も違います。
今日は、参加されてる中で子どもは少ないけど、本当は子どもに聞いてほしかった。親御さんも参考になるかなとは思います。
二人とも不登校を経て、通信制高校卒業して働いて、頑張って家庭を作っているところで、聞いてみたいと思います。
Q.不登校になった時期と原因は?
N:小学4年生の時期で、原因というのが当時の担任の先生がちょっと厳しすぎるというので評判の先生で、学級裁判が頻繁に起きたり、つるし上げみたいな結果をみんなの前で叱責して、誰かが標的になったら1時間使ってやちゃう先生とそれに「学校に行きたくない」って言ったのに「絶対行け!」みたいになった時の、その時のお母さん、じいちゃんばあちゃんの行け行けみたいな感じだったので、それに反発する感じで行かなくなった。
S:小学5年生から行かなくなった。当時いじめられていたけど、どんないじめっていうのがちょっと自分の記憶の中で忘れかけてきていて、そこが曖昧ですけど。

Q.今Nさんの話でお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんの「行け行け」いう対応だったってことですけど、Sさんのご家族はどうでしたか?
S:家族にはいじめられていることを話して、「もし学校に行きたくなければ、その行かなくてもいいんじゃない」という相談があったので困ることはなかったです。

Q.中学校に関してNさんは適応指導教室に入ったという話は聞いてます。Sさんは?
S:保健室登校です。

Q.適応指導教室はどうだった?
N:勉強の時間があって、それ以外は基本遊んで遊んでていいみたいな。ゲーム以外なら何してもいいって感じだった。そこでコミュニケーションを取るような同じ世代と友達になって、そこ以外でも遊ぶようになって、そこは良かったかなとは思います。

Q.Sさんは保健室登校含めた中学校時代についてはお話してもらえますか。
S:中学1年生の頃から、保健室登校だったけど、まったく授業を受けられなかった。みんなが教室で行っている授業を、別の先生が保健室に来て、一対一で教わるっていう勉強法が嫌だった。
やっぱり、自分の中で保健室登校のままじゃダメだなとは思っていたので「やっぱり勉強もしっかりしないといけない」という気持ちもあり、でもやっぱり人の目が怖かったのでみんなに会いたくなかったので、気持ちが揺らぐことがあった。
でも、そのまま保健室登校の方が、私としては居心地がよかった。その時はそれしか考えられなかった。

Q.Nさんは適応指導教室の先生の指導で新居高校の夜間に行ったけど、高校についての情報、新居高校について話してもらえますか。
N:適応指導教室が卒業した後になんとなく高校には入っておいた方がいいみたいな雰囲気になって。でも、小学生からずっと適応指導教室で勉強もほとんどできなかった。高校の情報はよく知らなくて、高校というのも全日制、朝から行って夕方に終わる、部活もあるみたいな。定時制もありいうことで、「だったらワンチャン行けるんじゃないか」ぐらいの精神で言われてなんとなしに行った。このルートは失敗だったなって正直思った。
夜間って、やっぱりガッツリ学校なので、学校の雰囲気に合わかったら行っても意味がないって、今思います。当時も結構厳しかった。

Q.Nさんは高校に行かなくなって、Sさんは中3からフリースクールにきました。そこからフリースクールで過ごして、何年か経ってから静岡中央高校ということになったけど、静岡中央高校の通信にしたのはどういう流れでしたか?
S:フリースクールに通っている時に、皆さんが静岡中央高校に通っているっていうのもあって、先輩方がいるのだったらすごい心強いなと思って、選ぶことにした。
N:フリースクールで通って、遊びに行ってみたいな感じだった。4つ下くらい子たちが高校に入る流れで、こういうとこあるんだ、通信教育なら、こっちだったらもうちょっとで難易度低いし、今だったらいけるんかな、一緒なら心強いっていう感じで流れるように入った。

西村:Nさんは高校入ったのが、19歳の時でしたけど、その時今でも私を覚えてるのは、「適応指導教室の先生も親も誰も通信制っていうのがあるっていう選択を教えてくれなかったんだよ」って言ってた。出願時期せまっていたけど、すぐに作文書いて出願しました。
その時の作文、今でも私は下書きを取ってある。ものすごく気持ちがこもった作文を書きました。それから入学して4年間頑張って卒業しましたけど、彼はその前にスーパーの品出しバイトとかも始めて、16歳から一人暮らしもしてたのでやれるとげるとはとは思ったけど、でも何回か「もうやめたい」みたいな癇癪を起こしてレポート破いたりとかなんか色々してたけど、でもよく続けたなと思う。
Sさんは、1年遅れて入って、スクーリングに行くのは苦痛だっていうのは何回か聞いてたんですけど、その辺はどうでしたか?
S:学校に通うっていうことについては、普通の全日制の高校であれば、やっぱり週5で通わないといけないけど、静岡中央高校は木曜日と日曜日の二日間だけでいいっていうことだった。必ずその2日間行かなくてもいいので自分にとってはもう今日は気分が乗らないなって思ったら、もう全く行かない選択肢ができた。私と合っていたと思う。

Q.授業とか、先生との距離感とか、どうでした?
N:授業は比較的簡単、話を聞きながらだったらレポートも100パーセント埋まっていて、週に2回だけあるだけなので、どっちかさえ出ればそこのレポートは埋まってくる。進み過ぎたら、どんどん先の授業も聞かずにレポートをやっているみたいな空気だった。
先生との距離感は人間的相性で距離とたり近かったりいろいろありました。嫌いな先生の前ではレポートを破いたりしましたけど、好きな先生だったらコミュニケーションとれるぐらいの距離感でやってた。人間的な印象で、結構スクーリングの内が変わるなとは思った。
S:授業について私は普通の学校と変わりなく、先生が黒板に書いた内容を普通に聞きながら、机ではレポートやってるっていうスタイルだったので、何かその授業について雰囲気が悪いとかは全くなかった。取る単位によっては、すごい人がいるときもあれば、ガラガラなとき、私しかいないっていうときもあったので、特に何か嫌だなとかはなかった。
先生については、先生だなっていうので私は距離はそんなに近くはなかった。テストとか落ちれば、先生があまりにも落ちすぎだから答えに近いものを教えてあげるよって言われて、何か職員室で行って答えるみたいなものを写していました。それぐらいの距離感で自分はすごい見てます。

Q.学校っていうと友達を作らなきゃいけないとか、みんな仲良くしなきゃいけないとか、そういうプレッシャーってすごく大きいと思う。2人の場合はフリースクールの生仲間がいたので、スクーリング行って話し相手もいたとは思うけど、そうではんない場合、ひとりぼっちで嫌だって言ってた子もいました。
けれども、逆にひとりぼっちの方が気楽っていう子も多いと思うけど、この辺はどう?

N:大丈夫だとは思いますけど、こればかりは本人の性格次第だとか思う。結構つるんでる。友達作りに積極的な人も中にはいたので。
それこそおじいちゃんとかおばあちゃんみたいな人、何か元気がある小グループになってるみたいな状況を見たし、ぽつぽつと絶対一人で来たり、一人で来て一人でテストやって帰るみたいな子たちも見てたりもしたし、心意気次第でボッチでもいいんじゃないでしょうか。席はスクーリングごとに来たときに空いている席に座るので固定の席ではないので、別に何かを無理して周りとつながり作ろうとかそういうのは全くないので、気軽じゃないでしょうか。
S:全く一緒。でも最初は私も、絶対一人いやだなって思っていて。フリースクールに通っていた同い年の子がいて、一緒に最初通うことができたけど、今思えば別に何か一人の方がレポートを勧められるし、ここまで進んだというやりとりがないので、私はひとりの方が逆におススメする。

西村:一人のほうが気楽でいられる場でもある。友達作ろうと思えば作れる学校でもある。ほとんどの子どもたちは、そこが気になるところかなと思う。近くにいる人に話しかけた方がいいのか、話しかけられたらどう答えようとか、その辺で何か緊張するかもとか、その点は自分次第っていうことですね。先生方とはで、別に距離を置いても構わない。

Q.2人とも4年できっちり卒業して、その後の進路というのは多分皆さん気になると思う。Nさん場合は入学したのが19歳で卒業したのは23歳。卒業前に若者をハローワークに通い、高校の進路指導の先生ともやりとりをして、23歳でも高校新卒枠で就職が決まりましたけど、ちょっとブラックだった。その辺はどうでしたか?
N:運がなかったということで諦めがついてる。僕の場合は23歳で卒業ですので、ストレートで卒業した子たちと比べられるともかなわないので基本的に。穴場というか、そういうところを狙ってみたけど、ブラックでした。
S:卒業後は自分は普通に販売接客のところに普通に就職した。求人誌で応募してて、そこで人足りないからちょうどいいよって言うのでしばらく勤めていた。

Q.働くようになって、自分が不登校だったことが何か不利だったとか、そういうことを思ったことはありますか?
N:不登校が不利というか、完全に個人的学力が足りてないなっていうか、僕の場合、漢字の基礎が完全に出来上がる前に不登校になったので漢字が苦手で、社会に出たら無限に漢字って書くとき、とても恥ずかしいというか、反省している。スマホを見ながら文章を書くっていうのは、不利といえば不利かなと思う。コミュニケーションのところでは、その高校の部活の云々かんぬんっていうのは、明確に話し合わないから不利かなとは思う。
S:私も学歴だったり、勉強不足っていうのが不登校過ごしていで思いました。「学校生活すごい楽しかったね」って言われたときに、学校に入ってれば、会話とかも楽しくできた。のにとか、ちょっと相手を気まずくして、未だに何か悪いって思われるので自分の中でちょっと困ったなっと思うことはある。

西村:人との会話の中で学校の話題が出てきたときに、ちょっと気まずいっていうところはあるんですね。
今日参加されてるお子さんとか親御さんが今渦中にある、けれども「今では2人とも二人で働けばなんとかなる」ってこの前に言ってくれた言葉がとても私は嬉しかった。2人で働いて家庭を築いていくところなので、過去の不登校だったり、それに付随していろんな問題は家族の問題とか、いろんなこともあったと思う。
今は悩んでらっしゃるお子さんを親御さんに対して何かアドバイスでもいいし、何かと言いたいこと。あと特に親御さんに対してこうしてほしいか欲しいとかもう自分だったらこうしてほしかったみたいなことがあれば、お願いします。
N:絶対こうした方がいいっていうのはないのはわかってる前提なんですが、それでもなんか行きたくないってなったときに、みんながみんな無理して行けというのは絶対にやめてほしい。どこにも逃げ場がなくて、それこそもうかんしゃく起こすぐらいしかなくなて、誰かひとりでも味方がいれば全然変わったかなとは思う。不登校の子へアドバイスは、絶対に高卒のこれだけはちゃんと取らないと、何なんの形でもいいから高卒の資格だけをちゃんと取りましょうということで。
S:まったく一緒です。
やっぱり学校に行けって自分は強く言われてたわけではないけど、何かこうなるから学校に行けっていうのは。自分の中で理由があって、やっぱり行きたくないない、その押しつけはすっごい辛い。控えてあげると、多分本人はいいのかなと思うは言えないです。これが正解っていうのはないと思う。

西村:.そうですね。不登校じゃなく、学校に行ければよかったなって思いもある。学校に行けてた方が楽に生きてたかなっていうことはみんなは思うと思う。ただ、無理やりでも学校が合わない子っていうのはいて当たり前なので、行けなければいけないなりに彼らのように生きている子たちがたくさんいます。しっかり生活ができている子たちはいっぱいいますので、そこのところで今現在お悩みのみなさんも、まだまだいろいろ模索しながらだと思います。けれどもいろんな進路があります。のでぜひ、今の子ふたりのお話も参考にしていただいていただきたいなと思います。






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