
2023年10月10日
第3回「2023不登校生のための進路相談会」を開催しました。
9月24日、第3回「2023不登校生のための進路相談会」を開催しました。
当日は、問い合わせの電話が続き、当日参加の方も含めて22名(うち子ども2名)の参加者がありました。参加者は、小学生から高校3年生まで幅広くありました。
先日、令和4年度不登校生調査の結果が公表されましたが、増加の一途で静岡県内は小学生3940/177589人、中学生は6309/97183人(不登校児童生徒数/児童生徒数)。
毎年、学校に送付している案内を対象者に知らせてくださる学校から来た方もあれば、全く知らされなくて残念でしたという方もいました。
今回も大平台高校定時制の副校長川村先生が参加してくださり、入試に向けた学校説明会の日にちが決まりお知らせいただきました。
入学希望者(保護者)説明会については、12月25日の予定。参加申込については、今年からグーグルフォームにて申込みができるそうです(中学校にも申し込みをしたことをお伝えくださいとのことです)。学校ホームページに10月下旬から11月初旬に大平台高校定時制ホームページの入試情報ページアップされる予定です。
静岡中央高校通信制の入学説明会の案内もされていますので、下記のアドレスからご覧ください。
http://www.edu.pref.shizuoka.jp/shizuokachuo-h/home.nsf/DL/D2BB7CE2157ECB04492589D60028B68C/$FILE/R5%20%E5%85%A5%E5%AD%A6%E8%AA%AC%E6%98%8E%E4%BC%9A%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7.pdf
参加してくださる定時制の先生と体験談を話してくださった方に質問や詳しく聞いてみたいことがあえいましたら、個別面談の時間にお話しすることもできます。残ってお話しされる方も増えてきました。
今回は、保護者の体験談になります。小学2年生から不登校になり、通信制高校を卒業して専門学校に通っているSさんのお母さんのお話です。質問者は、当会のメンバーの西村です。
西村:Sさん袋井市からです。小学校3年の時にフリースクールに入って一番小さかったのでみんなから「Sちゃん」と可愛がられていた。私も今でも「Sちゃん」と言ってるので「Sちゃん」と言わせていただきます。Sちゃんが最初に不登校になった時のところから、お話をお願いします。
Sさん:私からの一方的な話になりますが、すみません。いじめや何か大きな出来事があったわけではない。
何か小さいことの積み重ねのようです。小学校の先生がわりと厳しい先生、ベテランの女の先生だった。ベテランの方って自分のやり方がある「私はすごく厳しい。でも、みんな卒業するときにはみんな私に感謝している」っていう感じです。
あと、私が仕事していた時に学童に行っていた。学童も行くと感じのいい、よく遊んでるかなと思ったけど、先生方もわりと厳しい方で。みんなが勉強やっている時間に勉強をやれなくて、すごく厳しく怒られたり、遊んでいるときに「ものを投げられて、ひっかかった」という感じですごく厳しく怒られたみたいです。おじいちゃんが「あんなところにも通わせちゃいかん。やめさせろ」って言われて学童はやめた。
学校の方も友達の親御さんから「Sくんがかわいそうなことがあったよ」と言われて、Sは好き嫌いが激しいので。多分、つついていてこぼれたと思うのですけど、こぼしたから「拾って洗って食べなさい」って言って食べさせられたというのがあった。
話すと厳しいと思われるけど、悪いことばかりではなく厳しくてもやっていける子もいる。
Sはそれが合わなかったと思う。
あと、子ども同士のいざこざがあった。自分の意思を上手く伝えられないので、伝わらないと涙ぐんでた。納得がいかないことがどうしたらいいのか、自分でもわからないということが、積み重ねになっていたかなと思う。
学校でも厳しい、学童でも厳しい、私も仕事していたのですごい厳しく学校行こうと。おばあちゃんが送り迎えしてくれてたけど、おばちゃんも学校に行こうと厳しく、たぶん逃げ道がなかったかなと思ってます。
最初の方はいろんなことの積み重ねで起きてしまったかなって考えてます。
西村:そういったSちゃんにとって厳しい状況があり、学校に行かないって言い出した時からのご家族の対応を教えていただけますか。
Sさん:その頃は、学校にあんまり不登校の子はいなかった。私たちも知識もなかったし、学校へ行くのが当たり前という認識だったので、とにかく学校に行かせようとした。
最初は布団から起きられなかったけど、遅刻してもいいから、一時間でもいいから行こうって言ったり。あとは犬を飼い始めて、気晴らしにもなるかと思って、犬の散歩行き学校まで行っていた。玄関まで行って挨拶だけしてこようって感じで、とにかく学校には何とかつながりを持たせるっていう感じでやっていた。
でも、行けるだろうと思って行けなかったと、イライラする。おばあちゃんも預かっているのだから、学校に行かせなきゃいけないって言ってた。こういう日々がずっと続いてた。
あと、おじいちゃんは昔堅気の人だったので、冷めたみかたがすごい強かった。
「また、あいつはなんで学校に行かないんだ」いうような感じで見ていた。会話も少なくて、Sもつらかったと思う。
私は、子どもにちょっと寄り添うのは苦手だと思っていた。
どうしてあげたらいいの、胸に何かつかえてる状態でどうしよう、何をしなきゃいけないという何かしなきゃいけない、目が覚めると何かしなきゃなんです。
眠れなくなって、もしかして私じゃなくて、他の家に生まれてからもっとも対応できるお母さんで、普通に行けていたかもしれないって、ずっと考えてる時期が長かった。
西村:学校に行けなくなったのは?
Sさん:小学2年生と3年生間くらい、3年生になったら完全に不登校です。
西村:それで探して、うちのスクールの方に来て、そのころ中学生ぐらいが中心だったので小3の子が入ってきて、可愛い子だなって思った。
イベント参加して、笑顔を見ることができていたけど、その辺からどうでしたか?
Sさん:小さい頃は、すごく活発な子で、みんなで遊んだり、田んぼに農業体験に行ったら、泥の中に一人泳ぐような。
フリースクールも自分で行くって決めたのですけど、兄ちゃん達と遊ぶのが楽しいって毎日行ってましたね。
ただ、成長してきて、反抗期というか思春期っていうかになり、引きこもりきりになってきて、たまに暗くなって話もしない。フリースクールにもなかなか行けなくなってきて、家に引きこもり、何カ月か半年外とかはもう完全に引きこもりでした。
しかも、フリースクールでさえも行けない状態になってきて、家でずっと引きこもり部屋からほぼでない、ゲームだけやっている時代が結構続いた。話しかけても返事もできない日が続いて。私も何を考えているかわからないし、どうしようかなっていうのが続いてました
西村:中学生くらいになったら、もう何カ月か出て来なかった時もありました。フリースクールきても何かずっとパソコンやってるだけとか、ソファーでずっと寝てるとか、話しかけてもほぼ返事返ってこないっていうことが多かった。仲のいい子達と誘われれば麻雀、ゲームをしていた。
Sちゃんは、字を書くのがとても抵抗があるっていうことで、Sちゃんが中学生になった時に、久しぶりに数学のプリントをやるとき、まず名前を書いてって言った時に「自分の名前の漢字がどうだっけ」と言われて、3年生から預かってるのに自分の名前も怪しいとなったことで、フリースクールでも学習の柱になるほど何か考えなければと思って、それで公文を投入した。
いつも送り迎えしてくださるのがおじいちゃんとおばあちゃんだった。あと、犬も一緒に来ていたので、家族ぐるみで10年お付き合いだった。
その中で高校進学は大きな問題だったと思います。高校行かないって思っていたが、第一学院に決めたあたりのことをお願いします。
Sさん:第一学院は自分で最終的に決めました。上の子も高校で、ちょっと不登校になったので、そのときにいろいろ私立通信制高校へ行ってみた。
その時に私の感覚ではSには第一学院だとなんとなく思った。ヘビーな男の子のことが多い、学校の先生が親身になって不登校生の対応に慣れていて、子供に寄り添ってくれるっていうのもあり、見学にも行ってSも面倒くさいと思ったかもしれないけど、ここでいいんじゃないって言って、決めました。
AO入試とか作文もあった。字が苦手だったけど、先生が寄り添ってくれ「将来の夢ってどう。それを作文にしてみたら」とサポートしてくれた。
学校に行くと「Sちゃん、いらっしゃい」と言ってくれて、それで決めましたね。
西村:その作文、自分で手書きで書いた?
Sさん;清書は自分で書きました。
西村:入学したけど、あまり行けてなかったですね。
S:行けてなかったです。通信の学校だったので、行かなくても単位が取れるけど、2年の2学期までとは全く行ってなかった。入学式すら行かなかった。
先生との3者面談の時だけは行って話をする。先生の引き出し方が上手で先生とはすごく話をする。あとゲームサークルがあった。ゲームが好きっていうのがあって、1週間に1回、8月は週2回、おじいちゃんが送ってた。
登校はしなくてもいいけど、1年に1回必ずスクーリン本校茨木に3泊4日という形で行かなければいけない。1年の時はまだコロナでなく行った。絶対行かないと単位が取れないで卒業進学ができないので、行くのかなってすごく心配してた。案外、当日普通に新幹線に乗って行って、3日後帰ってきた。駅に迎えに行ったら、あれ何か顔つきが違うぞっていうのが印象的だった。
行くまでにレポート全部終わらせなきゃいけない。レポートはタブレットでやるけど、難しくてレポートが期日までできないという届けを出して、本当にギリギリにやっと終わりましたって1年のときは行った。
レポートも学校に全然行ってなかったので、選択式でも、なかなか難しい。私の小学校時代は担任をしていたおじいちゃん先生に家庭教師をお願いして数1でやっていた。ネットとかで回答を2人で調べて和気あいあいやっていた。
あと2年と3年もスクーリングあったけど、コロナになって、第一学院の浜松校に連続4日間間朝9時に通わなければいけないというのがあって、心配だった。本人とそれを行かなきゃいけないとわかってたのか、通って無事に卒業することができた。
西村:1年生のときの茨木のスクーリングは、私は無理かなって思ってたけど、行ったって聞いたときに、本当ってすごいびっくりした
本人の中で本気でやるところ、大事なところは押さえてやってきたのかなって思う。
3年生から学校に行き始めて、何かオンラインで発表会を見せてもらえることがあって、ギターを弾くとか、将棋サークルとか、私も見せてもらいました。
行き始めたのは何かの変化があった?
Sさん:実際のところ、私もよくわかってない。ただ、きっかけになったって思うのが、離婚してしていた父親と話をしたこと。昔はけっこう不登校なんて・・理論づくしの方で、私の育て方が悪いんじゃないか、実家の対応がなってないじゃないかみたいな感じでした。
子供もやっぱり反抗して、父親に会った後はあいつみたいな感じで、搔きむしる自傷行為があって、こりゃダメなのかっていう感じだった。対応してるうちにだんだんわかってきたのか。ある日突然、誰かに聞いたのか「Sは発達障がい?自閉症なのか?」って聞いてきた。
こんな状況だよって説明して、その辺から変わってきた。対応の仕方がわかってきて、今までを押さえつけると頭ごなしに言う感じだったのが、「Sが思ってるの?こうしたらどうだい」って。
きっかけの話は、「医療が発達してきて、みんな寿命が延びたから、みんなずっと生きているのはちょっと将来の不安だ」って話をしたらしい。よくわからないけど、たぶんSも今までいろいろやってなかったっていうのは不安だったらしい。
父親と話をして、まず学校行ってみたらどうか、毎日送り迎えをしてやるっていう約束したらしい。それから父親が毎日家に来て送って、授業が終わったら迎えに行く、2年の3学期から登校を始めた。
西村:最初に小学3年のとき、フリースクール来たときもお父さんとお別れしたことについて、何も言わなかったけど、やっぱりお父さんのことっていうのは小さいSちゃんにとって寂しいことだったかなと思ってた。そこで高校2年からお父さんとの関わりが復活したということは、多分すごく大きいことだったかなと思います。
それで高校卒業にあたっての、今専門学校ですけど、それを選ぶにあたってはどのような流れがあった?
Sさん:ゲームをずっとしてきた、大好きなので、ゲームを作る仕事をしたいって思っていた。
それも第一学院の先生に話をしたところ、「いいんじゃないって」言われた。
ただ、静岡県内にゲームを作る会社がないので、将来的なことを考えたら、名古屋か東京だねと言われたみたいです。浜松の専門学校にゲームの専攻の学科があるので、見学に行ってみよう、静岡に通信教育で学校みたいな計画を作って教えてくれるところがあって、名古屋のハル、それぞれ2回行った。
私は浜松が近いし、目も届くし安心だし、もし朝行けないってなってもすぐ行けまので。浜松行ってくれないかなって内心思ってたけど、本人や先生とも話したり、いろいろと将来考えたと思う。見学に行ったときに、ハルは大きくて設備もいいいうのもあって、「ハルに行きたい」って自分から決めた。先生と行きやすさは、設備はどうなるかみたいな感じで、悩んでいた。決めるのは自分だよねって言って、自分で決めた。
名古屋にアパートを借りる?一人暮らしは難しいかも、どうしようかと言ったら、自分で「自宅から通う」と自分で選択して、いま毎日家から通っている。
西村:名古屋まで新幹線通学しているということで、こないだ来たときに朝何時に通っているって聞いたら5時か6時に起きている。しかも皆勤賞の賞状かを見せてもらったけど、本当に過去のことを思ったら信じられないんですけど、やっぱり楽しいんでしょうか?
Sさん:自分が好きな内容で、自分が決めたところなんて、今まで学校って、行く必要がないみたいの中で、自分で決めて自分で行きたい。好きなことやってるので毎日通っている。私も驚いているけど、5時過ぎに起こして6時に行く、皆勤賞になってびっくりしました。
西村:本当に成長してきたと思うけど、お母さんの目からご覧になって、今現在のSちゃはどんな風に成長してますか?
Sさん:自分で納得できないと動けないタイプみたです。自分でもう行くって決めて、かなりつらいと思う。毎日何時間のかけていて、授業終わって帰ってきて。いま、7時半から9時半まで授業があったりする。今コロナが減ったったので、週4か土曜日も隔週に週5日学習やテストとかで、週のうちほとんど名古屋が通ってる状態でも通っている。自分で決めて、納得して自分で行くよ、決めたことはやれるなって思う。
あと、私、学校に入って皆勤賞嬉しかったけど、一番嬉しかったのが、遠いからすぐに授業がい終わると帰ってきたけど、「友達とちょっと今から出かけるよ」「終電乗り遅れた」って楽しいそうに連絡があって、豊橋まで迎えに行った。
それが電話の向こうで友達とすごい笑っている。終電に乗り遅れた友達と遊んでくるかっていうのが一番うれしかった感じです。
西村:そうですね友達ができたってすごく安心しますね。人間関係が作れているのは、親御さんとしては一番ほっとするところかなと思います。
普通の進み方できた20歳でいったら、そのぐらいは普通なのかなって思うけどここまでの道のりを思うと、しみじみしみじみするものがあります。
ずっと、お母さんが苦しんで、何度も涙されてたのも見てきているので良かったなと思うのでも、まだここで終わりではないわけで、この先仕事に就く、働くとなったときに、多分ずっと親御さんというのは子どものことを心配し続けていくものだと思う。
けれども子どもに対する思いも親の思いもあるが、親の人生もあり子どもの人生、子どもの想いというのもそれぞれにあるので、押し付け合いに合うのではなくて、子どもも尊重していけたらって思います。やっぱりSさんが上からSちゃんのことを尊重していらしたから、今があるかなと思います。
最後に、今日出席されたみなさんに向けて、ちょっと何か一言あればお願いします。
Sさん:まず子どもって親も考えてけど、いろいろ考えていると思っている。
不登校になっている時も、いろいろ上手くいかない時も、一生懸命考えて力を蓄えているのかなと。Sももずっと成長の見えないというかずっとそんな学校いかない、ゲームばかりしていた。ずっと続いていたけど、本人なりに一生懸命力を蓄えていたと思う。それを見守って待ってあげてほしいと思います。
私ずっと悩んでいたときに眉間にしわが寄っていたと思う。家族で眉間にしわ寄せて、ギスギスしても、子どもは敏感なので、お母さんは何か楽しみを見つけるのがいいと思う。
私仕事しているけど、最初の頃に病院の先生が仕事をやめることはやめろと言ってくれこと何だろうって思ったけど、自分がやれることとか、自分の楽しみ方というのも大事だと思う。
うちにお姉ちゃんがいますが、学校行けなくなって、とにかくSことで頭がいっぱいだったので、上の方法をいろいろ悩んでいたのに気が付いてあげれなかった。
兄弟のことも気にかけるようなこともできなかったので、大事だなと思いました。
西村:ありがとうございました。
次回は、今年度の最後の相談会になります。11月26日(日)13:30~アイミティ浜松です。
当日は、問い合わせの電話が続き、当日参加の方も含めて22名(うち子ども2名)の参加者がありました。参加者は、小学生から高校3年生まで幅広くありました。
先日、令和4年度不登校生調査の結果が公表されましたが、増加の一途で静岡県内は小学生3940/177589人、中学生は6309/97183人(不登校児童生徒数/児童生徒数)。
毎年、学校に送付している案内を対象者に知らせてくださる学校から来た方もあれば、全く知らされなくて残念でしたという方もいました。
今回も大平台高校定時制の副校長川村先生が参加してくださり、入試に向けた学校説明会の日にちが決まりお知らせいただきました。
入学希望者(保護者)説明会については、12月25日の予定。参加申込については、今年からグーグルフォームにて申込みができるそうです(中学校にも申し込みをしたことをお伝えくださいとのことです)。学校ホームページに10月下旬から11月初旬に大平台高校定時制ホームページの入試情報ページアップされる予定です。
静岡中央高校通信制の入学説明会の案内もされていますので、下記のアドレスからご覧ください。
http://www.edu.pref.shizuoka.jp/shizuokachuo-h/home.nsf/DL/D2BB7CE2157ECB04492589D60028B68C/$FILE/R5%20%E5%85%A5%E5%AD%A6%E8%AA%AC%E6%98%8E%E4%BC%9A%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7.pdf
参加してくださる定時制の先生と体験談を話してくださった方に質問や詳しく聞いてみたいことがあえいましたら、個別面談の時間にお話しすることもできます。残ってお話しされる方も増えてきました。
今回は、保護者の体験談になります。小学2年生から不登校になり、通信制高校を卒業して専門学校に通っているSさんのお母さんのお話です。質問者は、当会のメンバーの西村です。
西村:Sさん袋井市からです。小学校3年の時にフリースクールに入って一番小さかったのでみんなから「Sちゃん」と可愛がられていた。私も今でも「Sちゃん」と言ってるので「Sちゃん」と言わせていただきます。Sちゃんが最初に不登校になった時のところから、お話をお願いします。
Sさん:私からの一方的な話になりますが、すみません。いじめや何か大きな出来事があったわけではない。
何か小さいことの積み重ねのようです。小学校の先生がわりと厳しい先生、ベテランの女の先生だった。ベテランの方って自分のやり方がある「私はすごく厳しい。でも、みんな卒業するときにはみんな私に感謝している」っていう感じです。
あと、私が仕事していた時に学童に行っていた。学童も行くと感じのいい、よく遊んでるかなと思ったけど、先生方もわりと厳しい方で。みんなが勉強やっている時間に勉強をやれなくて、すごく厳しく怒られたり、遊んでいるときに「ものを投げられて、ひっかかった」という感じですごく厳しく怒られたみたいです。おじいちゃんが「あんなところにも通わせちゃいかん。やめさせろ」って言われて学童はやめた。
学校の方も友達の親御さんから「Sくんがかわいそうなことがあったよ」と言われて、Sは好き嫌いが激しいので。多分、つついていてこぼれたと思うのですけど、こぼしたから「拾って洗って食べなさい」って言って食べさせられたというのがあった。
話すと厳しいと思われるけど、悪いことばかりではなく厳しくてもやっていける子もいる。
Sはそれが合わなかったと思う。
あと、子ども同士のいざこざがあった。自分の意思を上手く伝えられないので、伝わらないと涙ぐんでた。納得がいかないことがどうしたらいいのか、自分でもわからないということが、積み重ねになっていたかなと思う。
学校でも厳しい、学童でも厳しい、私も仕事していたのですごい厳しく学校行こうと。おばあちゃんが送り迎えしてくれてたけど、おばちゃんも学校に行こうと厳しく、たぶん逃げ道がなかったかなと思ってます。
最初の方はいろんなことの積み重ねで起きてしまったかなって考えてます。
西村:そういったSちゃんにとって厳しい状況があり、学校に行かないって言い出した時からのご家族の対応を教えていただけますか。
Sさん:その頃は、学校にあんまり不登校の子はいなかった。私たちも知識もなかったし、学校へ行くのが当たり前という認識だったので、とにかく学校に行かせようとした。
最初は布団から起きられなかったけど、遅刻してもいいから、一時間でもいいから行こうって言ったり。あとは犬を飼い始めて、気晴らしにもなるかと思って、犬の散歩行き学校まで行っていた。玄関まで行って挨拶だけしてこようって感じで、とにかく学校には何とかつながりを持たせるっていう感じでやっていた。
でも、行けるだろうと思って行けなかったと、イライラする。おばあちゃんも預かっているのだから、学校に行かせなきゃいけないって言ってた。こういう日々がずっと続いてた。
あと、おじいちゃんは昔堅気の人だったので、冷めたみかたがすごい強かった。
「また、あいつはなんで学校に行かないんだ」いうような感じで見ていた。会話も少なくて、Sもつらかったと思う。
私は、子どもにちょっと寄り添うのは苦手だと思っていた。
どうしてあげたらいいの、胸に何かつかえてる状態でどうしよう、何をしなきゃいけないという何かしなきゃいけない、目が覚めると何かしなきゃなんです。
眠れなくなって、もしかして私じゃなくて、他の家に生まれてからもっとも対応できるお母さんで、普通に行けていたかもしれないって、ずっと考えてる時期が長かった。
西村:学校に行けなくなったのは?
Sさん:小学2年生と3年生間くらい、3年生になったら完全に不登校です。
西村:それで探して、うちのスクールの方に来て、そのころ中学生ぐらいが中心だったので小3の子が入ってきて、可愛い子だなって思った。
イベント参加して、笑顔を見ることができていたけど、その辺からどうでしたか?
Sさん:小さい頃は、すごく活発な子で、みんなで遊んだり、田んぼに農業体験に行ったら、泥の中に一人泳ぐような。
フリースクールも自分で行くって決めたのですけど、兄ちゃん達と遊ぶのが楽しいって毎日行ってましたね。
ただ、成長してきて、反抗期というか思春期っていうかになり、引きこもりきりになってきて、たまに暗くなって話もしない。フリースクールにもなかなか行けなくなってきて、家に引きこもり、何カ月か半年外とかはもう完全に引きこもりでした。
しかも、フリースクールでさえも行けない状態になってきて、家でずっと引きこもり部屋からほぼでない、ゲームだけやっている時代が結構続いた。話しかけても返事もできない日が続いて。私も何を考えているかわからないし、どうしようかなっていうのが続いてました
西村:中学生くらいになったら、もう何カ月か出て来なかった時もありました。フリースクールきても何かずっとパソコンやってるだけとか、ソファーでずっと寝てるとか、話しかけてもほぼ返事返ってこないっていうことが多かった。仲のいい子達と誘われれば麻雀、ゲームをしていた。
Sちゃんは、字を書くのがとても抵抗があるっていうことで、Sちゃんが中学生になった時に、久しぶりに数学のプリントをやるとき、まず名前を書いてって言った時に「自分の名前の漢字がどうだっけ」と言われて、3年生から預かってるのに自分の名前も怪しいとなったことで、フリースクールでも学習の柱になるほど何か考えなければと思って、それで公文を投入した。
いつも送り迎えしてくださるのがおじいちゃんとおばあちゃんだった。あと、犬も一緒に来ていたので、家族ぐるみで10年お付き合いだった。
その中で高校進学は大きな問題だったと思います。高校行かないって思っていたが、第一学院に決めたあたりのことをお願いします。
Sさん:第一学院は自分で最終的に決めました。上の子も高校で、ちょっと不登校になったので、そのときにいろいろ私立通信制高校へ行ってみた。
その時に私の感覚ではSには第一学院だとなんとなく思った。ヘビーな男の子のことが多い、学校の先生が親身になって不登校生の対応に慣れていて、子供に寄り添ってくれるっていうのもあり、見学にも行ってSも面倒くさいと思ったかもしれないけど、ここでいいんじゃないって言って、決めました。
AO入試とか作文もあった。字が苦手だったけど、先生が寄り添ってくれ「将来の夢ってどう。それを作文にしてみたら」とサポートしてくれた。
学校に行くと「Sちゃん、いらっしゃい」と言ってくれて、それで決めましたね。
西村:その作文、自分で手書きで書いた?
Sさん;清書は自分で書きました。
西村:入学したけど、あまり行けてなかったですね。
S:行けてなかったです。通信の学校だったので、行かなくても単位が取れるけど、2年の2学期までとは全く行ってなかった。入学式すら行かなかった。
先生との3者面談の時だけは行って話をする。先生の引き出し方が上手で先生とはすごく話をする。あとゲームサークルがあった。ゲームが好きっていうのがあって、1週間に1回、8月は週2回、おじいちゃんが送ってた。
登校はしなくてもいいけど、1年に1回必ずスクーリン本校茨木に3泊4日という形で行かなければいけない。1年の時はまだコロナでなく行った。絶対行かないと単位が取れないで卒業進学ができないので、行くのかなってすごく心配してた。案外、当日普通に新幹線に乗って行って、3日後帰ってきた。駅に迎えに行ったら、あれ何か顔つきが違うぞっていうのが印象的だった。
行くまでにレポート全部終わらせなきゃいけない。レポートはタブレットでやるけど、難しくてレポートが期日までできないという届けを出して、本当にギリギリにやっと終わりましたって1年のときは行った。
レポートも学校に全然行ってなかったので、選択式でも、なかなか難しい。私の小学校時代は担任をしていたおじいちゃん先生に家庭教師をお願いして数1でやっていた。ネットとかで回答を2人で調べて和気あいあいやっていた。
あと2年と3年もスクーリングあったけど、コロナになって、第一学院の浜松校に連続4日間間朝9時に通わなければいけないというのがあって、心配だった。本人とそれを行かなきゃいけないとわかってたのか、通って無事に卒業することができた。
西村:1年生のときの茨木のスクーリングは、私は無理かなって思ってたけど、行ったって聞いたときに、本当ってすごいびっくりした
本人の中で本気でやるところ、大事なところは押さえてやってきたのかなって思う。
3年生から学校に行き始めて、何かオンラインで発表会を見せてもらえることがあって、ギターを弾くとか、将棋サークルとか、私も見せてもらいました。
行き始めたのは何かの変化があった?
Sさん:実際のところ、私もよくわかってない。ただ、きっかけになったって思うのが、離婚してしていた父親と話をしたこと。昔はけっこう不登校なんて・・理論づくしの方で、私の育て方が悪いんじゃないか、実家の対応がなってないじゃないかみたいな感じでした。
子供もやっぱり反抗して、父親に会った後はあいつみたいな感じで、搔きむしる自傷行為があって、こりゃダメなのかっていう感じだった。対応してるうちにだんだんわかってきたのか。ある日突然、誰かに聞いたのか「Sは発達障がい?自閉症なのか?」って聞いてきた。
こんな状況だよって説明して、その辺から変わってきた。対応の仕方がわかってきて、今までを押さえつけると頭ごなしに言う感じだったのが、「Sが思ってるの?こうしたらどうだい」って。
きっかけの話は、「医療が発達してきて、みんな寿命が延びたから、みんなずっと生きているのはちょっと将来の不安だ」って話をしたらしい。よくわからないけど、たぶんSも今までいろいろやってなかったっていうのは不安だったらしい。
父親と話をして、まず学校行ってみたらどうか、毎日送り迎えをしてやるっていう約束したらしい。それから父親が毎日家に来て送って、授業が終わったら迎えに行く、2年の3学期から登校を始めた。
西村:最初に小学3年のとき、フリースクール来たときもお父さんとお別れしたことについて、何も言わなかったけど、やっぱりお父さんのことっていうのは小さいSちゃんにとって寂しいことだったかなと思ってた。そこで高校2年からお父さんとの関わりが復活したということは、多分すごく大きいことだったかなと思います。
それで高校卒業にあたっての、今専門学校ですけど、それを選ぶにあたってはどのような流れがあった?
Sさん:ゲームをずっとしてきた、大好きなので、ゲームを作る仕事をしたいって思っていた。
それも第一学院の先生に話をしたところ、「いいんじゃないって」言われた。
ただ、静岡県内にゲームを作る会社がないので、将来的なことを考えたら、名古屋か東京だねと言われたみたいです。浜松の専門学校にゲームの専攻の学科があるので、見学に行ってみよう、静岡に通信教育で学校みたいな計画を作って教えてくれるところがあって、名古屋のハル、それぞれ2回行った。
私は浜松が近いし、目も届くし安心だし、もし朝行けないってなってもすぐ行けまので。浜松行ってくれないかなって内心思ってたけど、本人や先生とも話したり、いろいろと将来考えたと思う。見学に行ったときに、ハルは大きくて設備もいいいうのもあって、「ハルに行きたい」って自分から決めた。先生と行きやすさは、設備はどうなるかみたいな感じで、悩んでいた。決めるのは自分だよねって言って、自分で決めた。
名古屋にアパートを借りる?一人暮らしは難しいかも、どうしようかと言ったら、自分で「自宅から通う」と自分で選択して、いま毎日家から通っている。
西村:名古屋まで新幹線通学しているということで、こないだ来たときに朝何時に通っているって聞いたら5時か6時に起きている。しかも皆勤賞の賞状かを見せてもらったけど、本当に過去のことを思ったら信じられないんですけど、やっぱり楽しいんでしょうか?
Sさん:自分が好きな内容で、自分が決めたところなんて、今まで学校って、行く必要がないみたいの中で、自分で決めて自分で行きたい。好きなことやってるので毎日通っている。私も驚いているけど、5時過ぎに起こして6時に行く、皆勤賞になってびっくりしました。
西村:本当に成長してきたと思うけど、お母さんの目からご覧になって、今現在のSちゃはどんな風に成長してますか?
Sさん:自分で納得できないと動けないタイプみたです。自分でもう行くって決めて、かなりつらいと思う。毎日何時間のかけていて、授業終わって帰ってきて。いま、7時半から9時半まで授業があったりする。今コロナが減ったったので、週4か土曜日も隔週に週5日学習やテストとかで、週のうちほとんど名古屋が通ってる状態でも通っている。自分で決めて、納得して自分で行くよ、決めたことはやれるなって思う。
あと、私、学校に入って皆勤賞嬉しかったけど、一番嬉しかったのが、遠いからすぐに授業がい終わると帰ってきたけど、「友達とちょっと今から出かけるよ」「終電乗り遅れた」って楽しいそうに連絡があって、豊橋まで迎えに行った。
それが電話の向こうで友達とすごい笑っている。終電に乗り遅れた友達と遊んでくるかっていうのが一番うれしかった感じです。
西村:そうですね友達ができたってすごく安心しますね。人間関係が作れているのは、親御さんとしては一番ほっとするところかなと思います。
普通の進み方できた20歳でいったら、そのぐらいは普通なのかなって思うけどここまでの道のりを思うと、しみじみしみじみするものがあります。
ずっと、お母さんが苦しんで、何度も涙されてたのも見てきているので良かったなと思うのでも、まだここで終わりではないわけで、この先仕事に就く、働くとなったときに、多分ずっと親御さんというのは子どものことを心配し続けていくものだと思う。
けれども子どもに対する思いも親の思いもあるが、親の人生もあり子どもの人生、子どもの想いというのもそれぞれにあるので、押し付け合いに合うのではなくて、子どもも尊重していけたらって思います。やっぱりSさんが上からSちゃんのことを尊重していらしたから、今があるかなと思います。
最後に、今日出席されたみなさんに向けて、ちょっと何か一言あればお願いします。
Sさん:まず子どもって親も考えてけど、いろいろ考えていると思っている。
不登校になっている時も、いろいろ上手くいかない時も、一生懸命考えて力を蓄えているのかなと。Sももずっと成長の見えないというかずっとそんな学校いかない、ゲームばかりしていた。ずっと続いていたけど、本人なりに一生懸命力を蓄えていたと思う。それを見守って待ってあげてほしいと思います。
私ずっと悩んでいたときに眉間にしわが寄っていたと思う。家族で眉間にしわ寄せて、ギスギスしても、子どもは敏感なので、お母さんは何か楽しみを見つけるのがいいと思う。
私仕事しているけど、最初の頃に病院の先生が仕事をやめることはやめろと言ってくれこと何だろうって思ったけど、自分がやれることとか、自分の楽しみ方というのも大事だと思う。
うちにお姉ちゃんがいますが、学校行けなくなって、とにかくSことで頭がいっぱいだったので、上の方法をいろいろ悩んでいたのに気が付いてあげれなかった。
兄弟のことも気にかけるようなこともできなかったので、大事だなと思いました。
西村:ありがとうございました。
次回は、今年度の最後の相談会になります。11月26日(日)13:30~アイミティ浜松です。