子ども育ちレスキューネット


  

2023年12月22日

第4回「2023 不登校生のための進路相談会」が終わりました。

報告が遅れましたが、11月26日に第4回「2023 不登校生のための進路相談会」が終わりました。
参加者は、21名(子ども4人)で、駆け込み申し込み、当日参加が多くありました。
今年度の参加者は、小学生から高校生までの91名と昨年度より20名近く増加しています。子どもの参加も13人と多く、数名の子どもからは、個別相談や立ち話で進路をと考えている様子を聞くこともできました。コロナ禍明けのためか、不登校の増加の影響はもあるのでしょうか。
今年も大平台高校定時制の川村先生と浜名高校定時制の中村先生が参加して、情報提供や個別相談にも対応してくださいました。
昨年から行っている参加者アンケートでは、相談会で丁寧に伝えている「子どもの状況にあった進路時期と進路先を選ぶこと」を聞いて、子どもの不登校を受け入れることができましたというご意見が多くなりました。
相談会は、来年度も開催予定です。告知は、このブログ、Facebookで行います。

今回の体験談は、リースクールで過ごしながら静岡中央高校を卒業したNさん、Sさんです。先月結婚して同じ姓になりました。
質問者は、当会のメンバーの西村です。

西村:二人ともそれぞれ過去に進路相談会で体験談を話してもらったことがありますが、その時と今、何年か経ってるので状況も違います。
今日は、参加されてる中で子どもは少ないけど、本当は子どもに聞いてほしかった。親御さんも参考になるかなとは思います。
二人とも不登校を経て、通信制高校卒業して働いて、頑張って家庭を作っているところで、聞いてみたいと思います。
Q.不登校になった時期と原因は?
N:小学4年生の時期で、原因というのが当時の担任の先生がちょっと厳しすぎるというので評判の先生で、学級裁判が頻繁に起きたり、つるし上げみたいな結果をみんなの前で叱責して、誰かが標的になったら1時間使ってやちゃう先生とそれに「学校に行きたくない」って言ったのに「絶対行け!」みたいになった時の、その時のお母さん、じいちゃんばあちゃんの行け行けみたいな感じだったので、それに反発する感じで行かなくなった。
S:小学5年生から行かなくなった。当時いじめられていたけど、どんないじめっていうのがちょっと自分の記憶の中で忘れかけてきていて、そこが曖昧ですけど。

Q.今Nさんの話でお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんの「行け行け」いう対応だったってことですけど、Sさんのご家族はどうでしたか?
S:家族にはいじめられていることを話して、「もし学校に行きたくなければ、その行かなくてもいいんじゃない」という相談があったので困ることはなかったです。

Q.中学校に関してNさんは適応指導教室に入ったという話は聞いてます。Sさんは?
S:保健室登校です。

Q.適応指導教室はどうだった?
N:勉強の時間があって、それ以外は基本遊んで遊んでていいみたいな。ゲーム以外なら何してもいいって感じだった。そこでコミュニケーションを取るような同じ世代と友達になって、そこ以外でも遊ぶようになって、そこは良かったかなとは思います。

Q.Sさんは保健室登校含めた中学校時代についてはお話してもらえますか。
S:中学1年生の頃から、保健室登校だったけど、まったく授業を受けられなかった。みんなが教室で行っている授業を、別の先生が保健室に来て、一対一で教わるっていう勉強法が嫌だった。
やっぱり、自分の中で保健室登校のままじゃダメだなとは思っていたので「やっぱり勉強もしっかりしないといけない」という気持ちもあり、でもやっぱり人の目が怖かったのでみんなに会いたくなかったので、気持ちが揺らぐことがあった。
でも、そのまま保健室登校の方が、私としては居心地がよかった。その時はそれしか考えられなかった。

Q.Nさんは適応指導教室の先生の指導で新居高校の夜間に行ったけど、高校についての情報、新居高校について話してもらえますか。
N:適応指導教室が卒業した後になんとなく高校には入っておいた方がいいみたいな雰囲気になって。でも、小学生からずっと適応指導教室で勉強もほとんどできなかった。高校の情報はよく知らなくて、高校というのも全日制、朝から行って夕方に終わる、部活もあるみたいな。定時制もありいうことで、「だったらワンチャン行けるんじゃないか」ぐらいの精神で言われてなんとなしに行った。このルートは失敗だったなって正直思った。
夜間って、やっぱりガッツリ学校なので、学校の雰囲気に合わかったら行っても意味がないって、今思います。当時も結構厳しかった。

Q.Nさんは高校に行かなくなって、Sさんは中3からフリースクールにきました。そこからフリースクールで過ごして、何年か経ってから静岡中央高校ということになったけど、静岡中央高校の通信にしたのはどういう流れでしたか?
S:フリースクールに通っている時に、皆さんが静岡中央高校に通っているっていうのもあって、先輩方がいるのだったらすごい心強いなと思って、選ぶことにした。
N:フリースクールで通って、遊びに行ってみたいな感じだった。4つ下くらい子たちが高校に入る流れで、こういうとこあるんだ、通信教育なら、こっちだったらもうちょっとで難易度低いし、今だったらいけるんかな、一緒なら心強いっていう感じで流れるように入った。

西村:Nさんは高校入ったのが、19歳の時でしたけど、その時今でも私を覚えてるのは、「適応指導教室の先生も親も誰も通信制っていうのがあるっていう選択を教えてくれなかったんだよ」って言ってた。出願時期せまっていたけど、すぐに作文書いて出願しました。
その時の作文、今でも私は下書きを取ってある。ものすごく気持ちがこもった作文を書きました。それから入学して4年間頑張って卒業しましたけど、彼はその前にスーパーの品出しバイトとかも始めて、16歳から一人暮らしもしてたのでやれるとげるとはとは思ったけど、でも何回か「もうやめたい」みたいな癇癪を起こしてレポート破いたりとかなんか色々してたけど、でもよく続けたなと思う。
Sさんは、1年遅れて入って、スクーリングに行くのは苦痛だっていうのは何回か聞いてたんですけど、その辺はどうでしたか?
S:学校に通うっていうことについては、普通の全日制の高校であれば、やっぱり週5で通わないといけないけど、静岡中央高校は木曜日と日曜日の二日間だけでいいっていうことだった。必ずその2日間行かなくてもいいので自分にとってはもう今日は気分が乗らないなって思ったら、もう全く行かない選択肢ができた。私と合っていたと思う。

Q.授業とか、先生との距離感とか、どうでした?
N:授業は比較的簡単、話を聞きながらだったらレポートも100パーセント埋まっていて、週に2回だけあるだけなので、どっちかさえ出ればそこのレポートは埋まってくる。進み過ぎたら、どんどん先の授業も聞かずにレポートをやっているみたいな空気だった。
先生との距離感は人間的相性で距離とたり近かったりいろいろありました。嫌いな先生の前ではレポートを破いたりしましたけど、好きな先生だったらコミュニケーションとれるぐらいの距離感でやってた。人間的な印象で、結構スクーリングの内が変わるなとは思った。
S:授業について私は普通の学校と変わりなく、先生が黒板に書いた内容を普通に聞きながら、机ではレポートやってるっていうスタイルだったので、何かその授業について雰囲気が悪いとかは全くなかった。取る単位によっては、すごい人がいるときもあれば、ガラガラなとき、私しかいないっていうときもあったので、特に何か嫌だなとかはなかった。
先生については、先生だなっていうので私は距離はそんなに近くはなかった。テストとか落ちれば、先生があまりにも落ちすぎだから答えに近いものを教えてあげるよって言われて、何か職員室で行って答えるみたいなものを写していました。それぐらいの距離感で自分はすごい見てます。

Q.学校っていうと友達を作らなきゃいけないとか、みんな仲良くしなきゃいけないとか、そういうプレッシャーってすごく大きいと思う。2人の場合はフリースクールの生仲間がいたので、スクーリング行って話し相手もいたとは思うけど、そうではんない場合、ひとりぼっちで嫌だって言ってた子もいました。
けれども、逆にひとりぼっちの方が気楽っていう子も多いと思うけど、この辺はどう?

N:大丈夫だとは思いますけど、こればかりは本人の性格次第だとか思う。結構つるんでる。友達作りに積極的な人も中にはいたので。
それこそおじいちゃんとかおばあちゃんみたいな人、何か元気がある小グループになってるみたいな状況を見たし、ぽつぽつと絶対一人で来たり、一人で来て一人でテストやって帰るみたいな子たちも見てたりもしたし、心意気次第でボッチでもいいんじゃないでしょうか。席はスクーリングごとに来たときに空いている席に座るので固定の席ではないので、別に何かを無理して周りとつながり作ろうとかそういうのは全くないので、気軽じゃないでしょうか。
S:全く一緒。でも最初は私も、絶対一人いやだなって思っていて。フリースクールに通っていた同い年の子がいて、一緒に最初通うことができたけど、今思えば別に何か一人の方がレポートを勧められるし、ここまで進んだというやりとりがないので、私はひとりの方が逆におススメする。

西村:一人のほうが気楽でいられる場でもある。友達作ろうと思えば作れる学校でもある。ほとんどの子どもたちは、そこが気になるところかなと思う。近くにいる人に話しかけた方がいいのか、話しかけられたらどう答えようとか、その辺で何か緊張するかもとか、その点は自分次第っていうことですね。先生方とはで、別に距離を置いても構わない。

Q.2人とも4年できっちり卒業して、その後の進路というのは多分皆さん気になると思う。Nさん場合は入学したのが19歳で卒業したのは23歳。卒業前に若者をハローワークに通い、高校の進路指導の先生ともやりとりをして、23歳でも高校新卒枠で就職が決まりましたけど、ちょっとブラックだった。その辺はどうでしたか?
N:運がなかったということで諦めがついてる。僕の場合は23歳で卒業ですので、ストレートで卒業した子たちと比べられるともかなわないので基本的に。穴場というか、そういうところを狙ってみたけど、ブラックでした。
S:卒業後は自分は普通に販売接客のところに普通に就職した。求人誌で応募してて、そこで人足りないからちょうどいいよって言うのでしばらく勤めていた。

Q.働くようになって、自分が不登校だったことが何か不利だったとか、そういうことを思ったことはありますか?
N:不登校が不利というか、完全に個人的学力が足りてないなっていうか、僕の場合、漢字の基礎が完全に出来上がる前に不登校になったので漢字が苦手で、社会に出たら無限に漢字って書くとき、とても恥ずかしいというか、反省している。スマホを見ながら文章を書くっていうのは、不利といえば不利かなと思う。コミュニケーションのところでは、その高校の部活の云々かんぬんっていうのは、明確に話し合わないから不利かなとは思う。
S:私も学歴だったり、勉強不足っていうのが不登校過ごしていで思いました。「学校生活すごい楽しかったね」って言われたときに、学校に入ってれば、会話とかも楽しくできた。のにとか、ちょっと相手を気まずくして、未だに何か悪いって思われるので自分の中でちょっと困ったなっと思うことはある。

西村:人との会話の中で学校の話題が出てきたときに、ちょっと気まずいっていうところはあるんですね。
今日参加されてるお子さんとか親御さんが今渦中にある、けれども「今では2人とも二人で働けばなんとかなる」ってこの前に言ってくれた言葉がとても私は嬉しかった。2人で働いて家庭を築いていくところなので、過去の不登校だったり、それに付随していろんな問題は家族の問題とか、いろんなこともあったと思う。
今は悩んでらっしゃるお子さんを親御さんに対して何かアドバイスでもいいし、何かと言いたいこと。あと特に親御さんに対してこうしてほしいか欲しいとかもう自分だったらこうしてほしかったみたいなことがあれば、お願いします。
N:絶対こうした方がいいっていうのはないのはわかってる前提なんですが、それでもなんか行きたくないってなったときに、みんながみんな無理して行けというのは絶対にやめてほしい。どこにも逃げ場がなくて、それこそもうかんしゃく起こすぐらいしかなくなて、誰かひとりでも味方がいれば全然変わったかなとは思う。不登校の子へアドバイスは、絶対に高卒のこれだけはちゃんと取らないと、何なんの形でもいいから高卒の資格だけをちゃんと取りましょうということで。
S:まったく一緒です。
やっぱり学校に行けって自分は強く言われてたわけではないけど、何かこうなるから学校に行けっていうのは。自分の中で理由があって、やっぱり行きたくないない、その押しつけはすっごい辛い。控えてあげると、多分本人はいいのかなと思うは言えないです。これが正解っていうのはないと思う。

西村:.そうですね。不登校じゃなく、学校に行ければよかったなって思いもある。学校に行けてた方が楽に生きてたかなっていうことはみんなは思うと思う。ただ、無理やりでも学校が合わない子っていうのはいて当たり前なので、行けなければいけないなりに彼らのように生きている子たちがたくさんいます。しっかり生活ができている子たちはいっぱいいますので、そこのところで今現在お悩みのみなさんも、まだまだいろいろ模索しながらだと思います。けれどもいろんな進路があります。のでぜひ、今の子ふたりのお話も参考にしていただいていただきたいなと思います。




  


Posted by hiro at 23:19Comments(0)お知らせ活動事業

2023年10月10日

第3回「2023不登校生のための進路相談会」を開催しました。

9月24日、第3回「2023不登校生のための進路相談会」を開催しました。
当日は、問い合わせの電話が続き、当日参加の方も含めて22名(うち子ども2名)の参加者がありました。参加者は、小学生から高校3年生まで幅広くありました。
先日、令和4年度不登校生調査の結果が公表されましたが、増加の一途で静岡県内は小学生3940/177589人、中学生は6309/97183人(不登校児童生徒数/児童生徒数)。
毎年、学校に送付している案内を対象者に知らせてくださる学校から来た方もあれば、全く知らされなくて残念でしたという方もいました。

今回も大平台高校定時制の副校長川村先生が参加してくださり、入試に向けた学校説明会の日にちが決まりお知らせいただきました。
入学希望者(保護者)説明会については、12月25日の予定。参加申込については、今年からグーグルフォームにて申込みができるそうです(中学校にも申し込みをしたことをお伝えくださいとのことです)。学校ホームページに10月下旬から11月初旬に大平台高校定時制ホームページの入試情報ページアップされる予定です。
静岡中央高校通信制の入学説明会の案内もされていますので、下記のアドレスからご覧ください。
http://www.edu.pref.shizuoka.jp/shizuokachuo-h/home.nsf/DL/D2BB7CE2157ECB04492589D60028B68C/$FILE/R5%20%E5%85%A5%E5%AD%A6%E8%AA%AC%E6%98%8E%E4%BC%9A%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7.pdf

参加してくださる定時制の先生と体験談を話してくださった方に質問や詳しく聞いてみたいことがあえいましたら、個別面談の時間にお話しすることもできます。残ってお話しされる方も増えてきました。

今回は、保護者の体験談になります。小学2年生から不登校になり、通信制高校を卒業して専門学校に通っているSさんのお母さんのお話です。質問者は、当会のメンバーの西村です。
西村:Sさん袋井市からです。小学校3年の時にフリースクールに入って一番小さかったのでみんなから「Sちゃん」と可愛がられていた。私も今でも「Sちゃん」と言ってるので「Sちゃん」と言わせていただきます。Sちゃんが最初に不登校になった時のところから、お話をお願いします。
Sさん:私からの一方的な話になりますが、すみません。いじめや何か大きな出来事があったわけではない。
何か小さいことの積み重ねのようです。小学校の先生がわりと厳しい先生、ベテランの女の先生だった。ベテランの方って自分のやり方がある「私はすごく厳しい。でも、みんな卒業するときにはみんな私に感謝している」っていう感じです。
あと、私が仕事していた時に学童に行っていた。学童も行くと感じのいい、よく遊んでるかなと思ったけど、先生方もわりと厳しい方で。みんなが勉強やっている時間に勉強をやれなくて、すごく厳しく怒られたり、遊んでいるときに「ものを投げられて、ひっかかった」という感じですごく厳しく怒られたみたいです。おじいちゃんが「あんなところにも通わせちゃいかん。やめさせろ」って言われて学童はやめた。
学校の方も友達の親御さんから「Sくんがかわいそうなことがあったよ」と言われて、Sは好き嫌いが激しいので。多分、つついていてこぼれたと思うのですけど、こぼしたから「拾って洗って食べなさい」って言って食べさせられたというのがあった。
話すと厳しいと思われるけど、悪いことばかりではなく厳しくてもやっていける子もいる。
Sはそれが合わなかったと思う。
あと、子ども同士のいざこざがあった。自分の意思を上手く伝えられないので、伝わらないと涙ぐんでた。納得がいかないことがどうしたらいいのか、自分でもわからないということが、積み重ねになっていたかなと思う。
学校でも厳しい、学童でも厳しい、私も仕事していたのですごい厳しく学校行こうと。おばあちゃんが送り迎えしてくれてたけど、おばちゃんも学校に行こうと厳しく、たぶん逃げ道がなかったかなと思ってます。
最初の方はいろんなことの積み重ねで起きてしまったかなって考えてます。

西村:そういったSちゃんにとって厳しい状況があり、学校に行かないって言い出した時からのご家族の対応を教えていただけますか。
Sさん:その頃は、学校にあんまり不登校の子はいなかった。私たちも知識もなかったし、学校へ行くのが当たり前という認識だったので、とにかく学校に行かせようとした。
最初は布団から起きられなかったけど、遅刻してもいいから、一時間でもいいから行こうって言ったり。あとは犬を飼い始めて、気晴らしにもなるかと思って、犬の散歩行き学校まで行っていた。玄関まで行って挨拶だけしてこようって感じで、とにかく学校には何とかつながりを持たせるっていう感じでやっていた。
でも、行けるだろうと思って行けなかったと、イライラする。おばあちゃんも預かっているのだから、学校に行かせなきゃいけないって言ってた。こういう日々がずっと続いてた。
あと、おじいちゃんは昔堅気の人だったので、冷めたみかたがすごい強かった。
「また、あいつはなんで学校に行かないんだ」いうような感じで見ていた。会話も少なくて、Sもつらかったと思う。
私は、子どもにちょっと寄り添うのは苦手だと思っていた。
どうしてあげたらいいの、胸に何かつかえてる状態でどうしよう、何をしなきゃいけないという何かしなきゃいけない、目が覚めると何かしなきゃなんです。
眠れなくなって、もしかして私じゃなくて、他の家に生まれてからもっとも対応できるお母さんで、普通に行けていたかもしれないって、ずっと考えてる時期が長かった。

西村:学校に行けなくなったのは?
Sさん:小学2年生と3年生間くらい、3年生になったら完全に不登校です。

西村:それで探して、うちのスクールの方に来て、そのころ中学生ぐらいが中心だったので小3の子が入ってきて、可愛い子だなって思った。
イベント参加して、笑顔を見ることができていたけど、その辺からどうでしたか?

Sさん:小さい頃は、すごく活発な子で、みんなで遊んだり、田んぼに農業体験に行ったら、泥の中に一人泳ぐような。
フリースクールも自分で行くって決めたのですけど、兄ちゃん達と遊ぶのが楽しいって毎日行ってましたね。
ただ、成長してきて、反抗期というか思春期っていうかになり、引きこもりきりになってきて、たまに暗くなって話もしない。フリースクールにもなかなか行けなくなってきて、家に引きこもり、何カ月か半年外とかはもう完全に引きこもりでした。
しかも、フリースクールでさえも行けない状態になってきて、家でずっと引きこもり部屋からほぼでない、ゲームだけやっている時代が結構続いた。話しかけても返事もできない日が続いて。私も何を考えているかわからないし、どうしようかなっていうのが続いてました

西村:中学生くらいになったら、もう何カ月か出て来なかった時もありました。フリースクールきても何かずっとパソコンやってるだけとか、ソファーでずっと寝てるとか、話しかけてもほぼ返事返ってこないっていうことが多かった。仲のいい子達と誘われれば麻雀、ゲームをしていた。
Sちゃんは、字を書くのがとても抵抗があるっていうことで、Sちゃんが中学生になった時に、久しぶりに数学のプリントをやるとき、まず名前を書いてって言った時に「自分の名前の漢字がどうだっけ」と言われて、3年生から預かってるのに自分の名前も怪しいとなったことで、フリースクールでも学習の柱になるほど何か考えなければと思って、それで公文を投入した。
いつも送り迎えしてくださるのがおじいちゃんとおばあちゃんだった。あと、犬も一緒に来ていたので、家族ぐるみで10年お付き合いだった。
その中で高校進学は大きな問題だったと思います。高校行かないって思っていたが、第一学院に決めたあたりのことをお願いします。

Sさん:第一学院は自分で最終的に決めました。上の子も高校で、ちょっと不登校になったので、そのときにいろいろ私立通信制高校へ行ってみた。
その時に私の感覚ではSには第一学院だとなんとなく思った。ヘビーな男の子のことが多い、学校の先生が親身になって不登校生の対応に慣れていて、子供に寄り添ってくれるっていうのもあり、見学にも行ってSも面倒くさいと思ったかもしれないけど、ここでいいんじゃないって言って、決めました。
AO入試とか作文もあった。字が苦手だったけど、先生が寄り添ってくれ「将来の夢ってどう。それを作文にしてみたら」とサポートしてくれた。
学校に行くと「Sちゃん、いらっしゃい」と言ってくれて、それで決めましたね。

西村:その作文、自分で手書きで書いた?
Sさん;清書は自分で書きました。

西村:入学したけど、あまり行けてなかったですね。
S:行けてなかったです。通信の学校だったので、行かなくても単位が取れるけど、2年の2学期までとは全く行ってなかった。入学式すら行かなかった。
先生との3者面談の時だけは行って話をする。先生の引き出し方が上手で先生とはすごく話をする。あとゲームサークルがあった。ゲームが好きっていうのがあって、1週間に1回、8月は週2回、おじいちゃんが送ってた。
登校はしなくてもいいけど、1年に1回必ずスクーリン本校茨木に3泊4日という形で行かなければいけない。1年の時はまだコロナでなく行った。絶対行かないと単位が取れないで卒業進学ができないので、行くのかなってすごく心配してた。案外、当日普通に新幹線に乗って行って、3日後帰ってきた。駅に迎えに行ったら、あれ何か顔つきが違うぞっていうのが印象的だった。
行くまでにレポート全部終わらせなきゃいけない。レポートはタブレットでやるけど、難しくてレポートが期日までできないという届けを出して、本当にギリギリにやっと終わりましたって1年のときは行った。
レポートも学校に全然行ってなかったので、選択式でも、なかなか難しい。私の小学校時代は担任をしていたおじいちゃん先生に家庭教師をお願いして数1でやっていた。ネットとかで回答を2人で調べて和気あいあいやっていた。
あと2年と3年もスクーリングあったけど、コロナになって、第一学院の浜松校に連続4日間間朝9時に通わなければいけないというのがあって、心配だった。本人とそれを行かなきゃいけないとわかってたのか、通って無事に卒業することができた。

西村:1年生のときの茨木のスクーリングは、私は無理かなって思ってたけど、行ったって聞いたときに、本当ってすごいびっくりした
本人の中で本気でやるところ、大事なところは押さえてやってきたのかなって思う。
3年生から学校に行き始めて、何かオンラインで発表会を見せてもらえることがあって、ギターを弾くとか、将棋サークルとか、私も見せてもらいました。
行き始めたのは何かの変化があった?

Sさん:実際のところ、私もよくわかってない。ただ、きっかけになったって思うのが、離婚してしていた父親と話をしたこと。昔はけっこう不登校なんて・・理論づくしの方で、私の育て方が悪いんじゃないか、実家の対応がなってないじゃないかみたいな感じでした。
子供もやっぱり反抗して、父親に会った後はあいつみたいな感じで、搔きむしる自傷行為があって、こりゃダメなのかっていう感じだった。対応してるうちにだんだんわかってきたのか。ある日突然、誰かに聞いたのか「Sは発達障がい?自閉症なのか?」って聞いてきた。
こんな状況だよって説明して、その辺から変わってきた。対応の仕方がわかってきて、今までを押さえつけると頭ごなしに言う感じだったのが、「Sが思ってるの?こうしたらどうだい」って。
きっかけの話は、「医療が発達してきて、みんな寿命が延びたから、みんなずっと生きているのはちょっと将来の不安だ」って話をしたらしい。よくわからないけど、たぶんSも今までいろいろやってなかったっていうのは不安だったらしい。
父親と話をして、まず学校行ってみたらどうか、毎日送り迎えをしてやるっていう約束したらしい。それから父親が毎日家に来て送って、授業が終わったら迎えに行く、2年の3学期から登校を始めた。

西村:最初に小学3年のとき、フリースクール来たときもお父さんとお別れしたことについて、何も言わなかったけど、やっぱりお父さんのことっていうのは小さいSちゃんにとって寂しいことだったかなと思ってた。そこで高校2年からお父さんとの関わりが復活したということは、多分すごく大きいことだったかなと思います。
それで高校卒業にあたっての、今専門学校ですけど、それを選ぶにあたってはどのような流れがあった?

Sさん:ゲームをずっとしてきた、大好きなので、ゲームを作る仕事をしたいって思っていた。
それも第一学院の先生に話をしたところ、「いいんじゃないって」言われた。
ただ、静岡県内にゲームを作る会社がないので、将来的なことを考えたら、名古屋か東京だねと言われたみたいです。浜松の専門学校にゲームの専攻の学科があるので、見学に行ってみよう、静岡に通信教育で学校みたいな計画を作って教えてくれるところがあって、名古屋のハル、それぞれ2回行った。
私は浜松が近いし、目も届くし安心だし、もし朝行けないってなってもすぐ行けまので。浜松行ってくれないかなって内心思ってたけど、本人や先生とも話したり、いろいろと将来考えたと思う。見学に行ったときに、ハルは大きくて設備もいいいうのもあって、「ハルに行きたい」って自分から決めた。先生と行きやすさは、設備はどうなるかみたいな感じで、悩んでいた。決めるのは自分だよねって言って、自分で決めた。
名古屋にアパートを借りる?一人暮らしは難しいかも、どうしようかと言ったら、自分で「自宅から通う」と自分で選択して、いま毎日家から通っている。

西村:名古屋まで新幹線通学しているということで、こないだ来たときに朝何時に通っているって聞いたら5時か6時に起きている。しかも皆勤賞の賞状かを見せてもらったけど、本当に過去のことを思ったら信じられないんですけど、やっぱり楽しいんでしょうか?
Sさん:自分が好きな内容で、自分が決めたところなんて、今まで学校って、行く必要がないみたいの中で、自分で決めて自分で行きたい。好きなことやってるので毎日通っている。私も驚いているけど、5時過ぎに起こして6時に行く、皆勤賞になってびっくりしました。

西村:本当に成長してきたと思うけど、お母さんの目からご覧になって、今現在のSちゃはどんな風に成長してますか?
Sさん:自分で納得できないと動けないタイプみたです。自分でもう行くって決めて、かなりつらいと思う。毎日何時間のかけていて、授業終わって帰ってきて。いま、7時半から9時半まで授業があったりする。今コロナが減ったったので、週4か土曜日も隔週に週5日学習やテストとかで、週のうちほとんど名古屋が通ってる状態でも通っている。自分で決めて、納得して自分で行くよ、決めたことはやれるなって思う。
あと、私、学校に入って皆勤賞嬉しかったけど、一番嬉しかったのが、遠いからすぐに授業がい終わると帰ってきたけど、「友達とちょっと今から出かけるよ」「終電乗り遅れた」って楽しいそうに連絡があって、豊橋まで迎えに行った。
それが電話の向こうで友達とすごい笑っている。終電に乗り遅れた友達と遊んでくるかっていうのが一番うれしかった感じです。

西村:そうですね友達ができたってすごく安心しますね。人間関係が作れているのは、親御さんとしては一番ほっとするところかなと思います。
普通の進み方できた20歳でいったら、そのぐらいは普通なのかなって思うけどここまでの道のりを思うと、しみじみしみじみするものがあります。
ずっと、お母さんが苦しんで、何度も涙されてたのも見てきているので良かったなと思うのでも、まだここで終わりではないわけで、この先仕事に就く、働くとなったときに、多分ずっと親御さんというのは子どものことを心配し続けていくものだと思う。
けれども子どもに対する思いも親の思いもあるが、親の人生もあり子どもの人生、子どもの想いというのもそれぞれにあるので、押し付け合いに合うのではなくて、子どもも尊重していけたらって思います。やっぱりSさんが上からSちゃんのことを尊重していらしたから、今があるかなと思います。
最後に、今日出席されたみなさんに向けて、ちょっと何か一言あればお願いします。

Sさん:まず子どもって親も考えてけど、いろいろ考えていると思っている。
不登校になっている時も、いろいろ上手くいかない時も、一生懸命考えて力を蓄えているのかなと。Sももずっと成長の見えないというかずっとそんな学校いかない、ゲームばかりしていた。ずっと続いていたけど、本人なりに一生懸命力を蓄えていたと思う。それを見守って待ってあげてほしいと思います。
私ずっと悩んでいたときに眉間にしわが寄っていたと思う。家族で眉間にしわ寄せて、ギスギスしても、子どもは敏感なので、お母さんは何か楽しみを見つけるのがいいと思う。
私仕事しているけど、最初の頃に病院の先生が仕事をやめることはやめろと言ってくれこと何だろうって思ったけど、自分がやれることとか、自分の楽しみ方というのも大事だと思う。
うちにお姉ちゃんがいますが、学校行けなくなって、とにかくSことで頭がいっぱいだったので、上の方法をいろいろ悩んでいたのに気が付いてあげれなかった。
兄弟のことも気にかけるようなこともできなかったので、大事だなと思いました。

西村:ありがとうございました。

次回は、今年度の最後の相談会になります。11月26日(日)13:30~アイミティ浜松です。

  


Posted by hiro at 23:23Comments(0)お知らせ活動事業

2023年09月07日

第2回「2023不登校生のための進路相談会」を開催しました。

8月27日、第2回「2023不登校生のための進路相談会」をアイミティ浜松で開催しました。
34名の参加者(うち子ども5人)で、会場は満席になりました。
参加した子ども達から「自分で参加したいと思い来ました」「説明はわかりやすかった」「進路の参考にしたい」と話をきくことができました。

大平台高校定時制の副校長川村先生と浜名高校定時制の中村先生が、今回も参加してくださり、静岡県西部の定時制高校と川村先生の前任校の静岡中央高校の状況等などお話していただきました。
・各学校でルールが違ったり校内の雰囲気がわかるので、その中で先生の話を聞いてみたり、ここだったら何とかなるかなって思うところを選ぶといいので見学をすすめている。
・校則が変わってきている時代なので定時制時制高校、他の高校も今まで「あるべき」とか、「こうしなければならない」というルールから少しずつ変わってきている。そう考えれば、15歳、16歳で入学するべきなのか、3年間で卒業すべきなのか、4年間しか勉強できないのか、一人ひとりの子どもによって違うと思うので、高校というところで、いろいろと考えていただければと思います。
など、不登校生のためのアドバイスをいただきました。

その後は、個別での相談や情報提供にも対応してくださいました。

今回の体験談は、この相談会に参加したのがきっかけでフリースクールに通うようになり、静岡中央高校定時制高校を進学卒業して、現在は浜松学院大一年生のTさんです。
不登校の子どもがその後どういう道筋を辿って進学していったり、自立していくかというのはとても関心のあるところだと思います。
特に子どもたち本人の気持ちは、なかなか親御さんにはわからない部分が多いかなと思います。毎回この体験談はすごく人気があります。

Q.Tさんはいつからどのような理由で不登校になりましたか?
A.不登校は中学2年生の12月下旬からです。理由は小学1年生から中学2年生まで8年間いじめられていた。
中学に上がり、担任の先生が対応して相談をなどにのってくれた。でもいじめがなくならなかったことや、いじめによる心の傷を引きついてしまったり、限界が来てしまい居場所がないと感じてしまった。その後、不登校、ひきこもりになった。
中学を卒業してからもすぐには高校に入学という選択はせずに、電車とかで一人旅をしたり、フリースクールなどでいろんな経験はしたりと、回り道をして2年半経過した時に高校に入学した。

Q:その頃につらかったことと逆に救いになったことは、どんなこと?
A:4辛かったことは、大好きな学校に行けなかったこと。不登校当初は、家の中で今日も行けなかったと外を家の中で眺めて、毎日自分を責めて、罪悪感で毎日いっぱいだった。卒業まで中学生という立場で毎日行けない罪悪感、そして視線が怖くてつらくて、ずっと家に引きこもってた。
助けになったことは二つあります。一つ目はアバターゲームで居場所が出来たこと。悩みを聞いてくれる人がそこにいて悩み、自分の事や家族のことなど沢山相談にのってくれた。
本当にありがたいなって思った。
2つ目は中学卒業後、フリーになった時に好きな事だった電車で一人旅やフリースクールで多くの経験、いちご狩りとかディズニーシーに行ったりとかたくさんの体験ができていいなって思った。YouTubeのオフ会に電車で一人で蒲郡に行った。
そして様々な経験から精神面でも回復して、その後高校入学に前向きになった。フリースクールなどのおかげで今の自分がある。

Q:その頃、お父さんお母さんとか、周りの大人に知って欲しかったことはどんなことですか?
A:怒らず、何も言わずに守ってほしかったなって、今になって思う。
そしてまたそっとして欲しかった。とても不登校時代の学校の先生がいろいろ対応してくださったりとか、一人旅など、好きなことをたくさんさせてくれた親に対して、今は感謝している。あとフリースクールで不安だった自分に対して温かく迎え入れてくれて、多くの経験を経ての貴重な経験をしてくれた西村さんをはじめ、多くのスタッフ達さんや仲間に今も感謝している。

Q:進学先は通信制でなくて定時制に行きたいと一貫した。中央高校定時制(静岡市)を選んだ理由は?
A:まずは制服がないこと。校内は1階、2階の生徒ホールにはカラフルな椅子があったり、大理石のいろんなデザインかしてあって、大学のような雰囲気、3階から5階までは教室など学校という雰囲気のギャップが私が好き、ピンと来た。
キャンパスが近くに二つのバス路線が止まるけど、それが1時間あたり計6万7本と多かった。
周辺にいろんなスーパーからコンビニか、いろんな店があったり、先生との距離が近いなって思ったのが選んだ理由です。

Q:通信制みたく通学の少ないところを選ばずに定時制で選んだっていうのも、もともと学校が嫌いではなかった?
A:学校が本当に行くことは好きでした。毎日行くところに行きたかった。

Q:静岡中央高校の定時制の受験の内容は?
A:私は夏に入試を受けて、秋に入学した。入試は筆記試験3教科、国語と英語と自由表現。、それと面接5分くらい。自由表現は自分の生い立ちと志望理由を作文にして、それを試験管んの前で読んだ。
面接では自由表現ついて、遠距離通学だけど大丈夫なのかなど、いろんなことが聞かれた。緊張して言葉が詰まることも多かったけど、質問の言い方を変えてくれるなど優しい試験管だったことで安心できて合格へ繋げることができた。

Q:合格して高校は4年半で通った。どんな様子でしたか?
A:まずはチャイムがならない。授業は1・2時限など2限分セットの90分授業。先生によって合間に休憩がある。単位制で時間割を自分で作って授業を受ける。 私は、基本午後から夕方、もしくは夜まで授業を受けた。 自分の頑張りを認めて貰えるような賞状欲しかったため、休まないことで2年間皆勤賞をとった。
いじめは一切なかった。私は小学1年生からずっといじめられて、学校生活を送ることが当たり前だと思ってたので、とても驚いた。
メイドコーデなどロリーターといった明るい服装をした子やお年寄りの方まで色んな人いた。 みんな共通することは、いじめなど何かしら苦労した子。だからみんな優しい。高校でたくさんの優しい人に出会った。
部活を吹奏楽部と家庭科部掛け持ちした。部費は、生徒会から割り当てられるため、部費自己負担が基本なかった。運動部は、多くの部活で全国大会行っていた。
卒業最後の年は生活体験発表で学校代表に選ばれ人前で読んだことが1番の思い出。 自分を認めて貰える学校に初めて出会った。先生もみんな優しい。そして、授業も面白い。

Q:この春から、入学した大学を選んだ理由は?
A:指定校推薦があった。 オープンキャンパスの個別相談で、不安な自分の質問に対して丁寧に教えてくれたり、何度も大丈夫と言ってくれたこ。家から通えること、 少人数制で先生と距離近い。 全てが高校とそっくりで、環境変化が苦手な自分にとってぴったりだった。 実践的に学べるし、教員免許(小学校・特別支援学校)取得できるのも決め手。

Q:は小学校教諭を目指してる?
A: 不登校時代中学の先生にいろいろ対応して下さり、教師の仕事に興味持った。その後、高校でいろんな先生に出会い、憧れから現実的に考えるようになった。 先生になったら、今も苦しんでる子どもたちの力になりたい、いじめを世の中から無くしたい。大学生活は高校の時と違い、朝9時から日によっては夕方6時ぐらいまで講義がある。 家を7時前に出て遅い時は夜8時すぎに帰宅することもある。現場の経験豊富な先生が多く、先生や学生みんな優しい。幼稚園、こども園、特別支援学校、小学校と子どもと触れ合ったり観察したりと現場で学ぶことはい。 オープンキャンパススタッフとして参加したり、授業の一環で子どもと関わるボランティアが出来るなど現場で学べ楽しいこといっぱいある。 少人数グループで話し合い発表することも多い。 大変だが、毎日楽しい。

Q:皆参加しているお子さんたちや親御さんたち、今悩んでいる人たちにアドバイスをお願いします。
A:不登校のときは、つらかったです。
でも世界は広くて、世の中にはたくさん優しい人がいます。そして、自分をありのまま認めてくれる人もたくさんいます。私もたくさんその方にいっぱい出会いました。焦らず自分のペースで歩んでほしい。不登校の経験は自分次第で、その後の人生を豊かにしてくれると思っています。

次回は、9月24日アイミティ浜松で13:30からです。

中日新聞新聞の取材がありました。





  


Posted by hiro at 00:47Comments(0)お知らせ活動事業

2023年07月10日

第1回「2023不登校生のための進路相談会」を開催しました。

7月4日、第1回「2023不登校生のための進路相談会」を、磐田市のワークピア磐田で開催しました。

参加者は、10組15名(子ども2名)、支援者の方の参加もありました。
中2、中3の参加者が多くありましたが、小学生や中1の参加者もあり、情報を早くほしい、情報を整理したいと具体的な相談も増えてきています。
今回も、浜名高校定時制の中村先生が参加してくださいました。
説明会の後は、閉会まで中村先生と体験談を話してくださった伊藤さんと直接お話しする参加者の方がいました。

〇浜名高校の定時制の中村先生から、定時制の情報。
磐田市の磐田南高校定時制は、定員以上の応募がある。
浜名高校は30名くらい、他の夜間定時制は15から20名くらいの応募がある。
1学年の定員は40名。
定員割れをしていても、全員合格するわけではない。
高校に合格することがゴールではない。入学してからが大切。
入試では学校に通いたいという、頑張りたいという前向きの姿勢を見せることが大切。
アドミッションポリシー(入学者の受け入れ方針)がHPに載っているので確認して欲しい。
1学年30名を超えるところではクラスを2つに分けるところが多い。(磐田南は全学年、浜名は1年生のみ)
学年制の学校の場合、原級留置があるが、1科目でも単位が取れなければ原級留置の学校もあれば2科目までは仮進級ができる学校もある。(取れなかった分の科目は静岡中央高校の通信制などで単位修得しなければならない)
高校には必履修科目があり、単位制の学校でもその科目は履修しなければならない。履修する順番がある科目もあるので注意が必要。学年制の学校の履修科目は必履修科目以外は少ない。
定時制には給食がある。食堂があるところもあるが捕食(パンと牛乳程度)のところもある。
放課後は部活動や部活動以外のスポーツなどをして楽しく過ごしている生徒も多い。
定時制はやんちゃな生徒が多いイメージを持たれるが今はほとんどいない。髪型、髪色、ピアスなど一見すると派手な生徒もいるが、後輩の面倒見が良かったりやさしかったりする。
在学中のアルバイトを就職に活かすことを勧めている。働きぶりを評価してもらって就職につなげている。

各学校それぞれルールが違ったり、特徴があるので是非一度見学に来てください。


〇今回の体験談は、小4から不登校になり、小6から通ったフリースクールに通い、通信制高校を卒業して、フリースクールのスタッフとして働いている伊藤朋美さん。
質問者は、当団体代表(フリースクールドリームフィールド代表)です。

大山:伊藤萌美さん、「もみちん」と言われています。
フリースクールに入ったのは、小学校6年生のとき?

伊藤:小学校6年生のときにドリームフィールドができて、私がフリースクールに通うようになった。学校に通わなくなったのは、小学校4年生の春でした。

大山:今までは、進学を焦点に置いていたけど、不登校に関する理解とか、もっと広くみて生き方とか不登校との向き合い方を話しができたらと思う。
不登校になったときの気持ちは?

大山:
伊藤:私の中では、これが嫌だから学校に行けないという明確な理由がわからなくて。
学校に通っていたときから、クラスの中でどういう風に立ち振る舞いをして、どういう自分をやっていればということを、ずっと気にしていた。それは、のちのち気が付いたことですが、クラス替えがあって、クラスがどうなるかでその一年影響がある。小学校4年生の時にクラス替えがあり同じクラスの子をみて、そのときに「この中でやっていけない」と思ったのがきっかけとなったと思うけど、そのときは自覚してなかった。
日曜日のちびまるこちゃんが始まる時間になると、「おなかが痛い」「ご飯が食べれない」と気持ちの面より、体調の面で先に学校に行くことにブレーキがかかって、なぜかわからないけど学校に行けない、自分に何がストレスか負担がかかっているか自覚はなかったけど、じわじわと追いつめられていた感じ。

大山:お姉ちゃんも不登校だったよね。お姉ちゃんに対する親の対応は違った?
伊藤:姉が7つ年上で、私はいま31歳。姉の頃の方が不登校になるということが少なくて、周りにもいなくて、話を聞く場もなかったので、両親も祖父母も戸惑っていて、学校に行くのが当然、どうにかして学校に行かせないと動いていて、ランドセル背負わせて校門までに連れて行ってた。姉もすんなり学校に行かないという選択ができなかった。いまも、姉の方が追いつめられた感じがある。家族も戸惑う気持ちはあるけど、子どもの気持ちを置き去りにしちゃうと、のちのちあとに響くなと思う。姉はしばらくこもっていたので、私には関しては「どうして行かないの」とか行けるようにしようというのはなかった。
姉のおかげで、私は不登校になるという選択をすんなり受け入れられたかなと思う。

大山:最初はお姉ちゃんが主治医に紹介されてきたけど、不安が強くて。もみちんが一緒についてきて、明るいと思った。親の対応とか追い込み方があったと思うけど、お母さんが学校に行かないことを何か言っていた?
伊藤:あんまり、言わなかった。何が嫌だったか母もわからなかった、私自身友だち関係でも行きづらさを小学校4年生のとき感じていた。もともと集団生活が得意ではなかった。
幼稚園の頃も行きたくないという子どもだった。いろんなことを周りの子たちに合わせて動くということが苦手だっただろうなと思う。
友だち関係がうまくいってなというのは、母もわかっていたと思う。決定的なところは、わかっていなくて戸惑っていた。

大山:子どもを追い込んでしまうということは、親も悪気はなく子どものためにと思って考えてしまうけど、結果的に追いこんでしまうことがある。ほかの子ども達をみても発達の特性だったり、個性だったりとか、学校に対する苦手意識だったりとか、別に病的な症状がでたり、より多くの不安感を持ったり、後からついてくるものなので、自分たちが関わるときに一番大変だなと思うときは2次障がい的な不安や精神疾患を和らげていくことが、最初の作業になる。もみちんのように明るく通ってくれる子の方が接しやすくなるというのはある。
中学に入ったころは、コツコツ勉強してたよね。

伊藤:講師の方に勉強を教わっていた。自分の中で勉強していくのが安心というのがあった。学校の中では、学校で勉強に対しては苦しくなくて、私の場合は人間関係だった。勉強にはストレスはなく、流れで沿っていくのが安心だった。いまは、何も覚えていない (笑)

大山:静岡中央高校に入って、高校はどうだった?
伊藤:ドリームフィールドは、自分より上の人が通ってどういうところか聞いていたし、知っている人が在籍している安心感があり、ドリームフィールドに通いながら高校の卒業を目指そうと思った。
高校が好きだったかというとそうではなく、良かったことは、友だち関係を強制されないこと。人とのつながり、うわべだけでもどこかにグループに所属するとか、学校生活が苦しくクラスの中でやっていけるというのを作るのは結構しんどい。
静岡中央高校通信制は、クラスは一応あるけどクラスで何かしましょうというのはない。ホームルームはあるけど、クラスの人が誰かも正直わからないっていうくらいのクラス分けで、友だちをつくらなくていいいというのがすごく良かった。

大山:もみちんの場合は、割り切れたのは良かったと思う
学校にいかなくちゃとか勉強しなくちゃ、友だちつくらないといけないとかとではなく、私は学校苦手だし、友だちつくらなくても私の好きなことやればいいと割り切れていた。
ベースを始めたのは、いつ?

伊藤:ドリームフィールドに入って、半年以上たってから。

大山:スクールオブロックというイベントに参加して、スクエアというバンドの人に見込まれて、プロにならないかと誘われたけど、断ったのはなぜ?

伊藤:自分の中でベースを弾くのは、誰かに称賛されるものではなかった。
学校に通っているときの悩みは「みんなには得意なものがあるけど、自分にはない」と思ってしんどく感じていた。一生懸命、好きなことを探していたけどみつからなかった。
ドリームフィールドに入って、好きなことをみつけようという意識から離れたときに、ベースをやることになって、自分の好きなこと得意なことになった。
それを大きくしていきたいとかというのではなく、自分の中で好きとか得意を育てていきたいと思った。東京って怖いから行かないと思った。

大山:周りに評価されるためにでなく、自分自身がやりたいから続けているから良いね。
伊藤:いまでいうと「イイネ!」の数が多いとかリツイートが多いとかという評価でなく、自分の中であのときより上手くなっているとか、こういう風にやっていこうとか、自分がどうしていきたいかというのがあって、いまも続いていると思う。

大山:承認欲求が自分を苦しめてしまっている子が多い。割り切ってしまう、振り切ってしまうと生き方がカラフルになってくる。
ドリームフィールドで、仕事で子ども達と関わるようになったのはいつ?

伊藤:ドリームフィールドに入ってくる子に、先輩後輩という立ち位置ではなくオープンに向かい入れてあげようというのが、決まりではなく空気感。中学、高校の頃から、みんなであとからきた子だったり年下の子のサポートできるように、スタッフから自分自身もサポートしてもらっていた。19歳ころから「仕事としてやってみる?」と言われて、支援学校に通っている子が放課後にきていたので、その子たちとの関りで責任が増えた。

大山:学童保育から始めて、だんだんスキルを身につけて、いまは重要なスタッフのひとり。私は子ども達との直接的な関りをなるべく減らして、みんなに任せているが、任せられるスタッフ。もともとの感性と磨かれた経緯、みんなと関わる中で磨かれた感性ができたと思う。信頼できるスタッフ。
一般的な臨床心理士、スクールカウンセラーとか全然違う、経験を積んでいる力があると思って頼りにしている。
いま大変だなと思うことはある?

伊藤:私は不登校を経験してドリームフィールドにきている、子ども達も不登校になってドリームフィールドにきているけど、みんなが私と同じ考えではない。10人いれば10人理由が違う、似てても細かい生きづらさは、それぞれ違うので、当たり前だけど自分と違うので、自分の経験をかぶせていかないようにしようというのはある。

大山:それは、参加している親御さんの心理としても参考になると思う。「自分はこうだったから、この子もこうさせなきゃ」と考えるのは、別の人格であるわけだけだから、その辺りを理解していくことが大切。
今仕事をして、やりがいはある?

伊藤:悩むことの方が多いけど。やりがいとは別かもしれないけど、小学生の頃の自分に声をかけるとしたら「そんなに張りつめていなくてもいい」って思いがある。
今日は保護者の方だけではなくて、これから進路を考える子ども達もきている。ここにきていると時点で、自分のことに向き合っているけど向き合い過ぎると「どうなちゃうだろうか?」と不安が募ってしまうことがある。いま来ている子ども達、ドリームフィールドの子ども達、自分が10代の頃もそうだったけど、「なんとかなるさ」は無責任過ぎるけど、道を固めて固めていったら、すごい明るい未来があるっていうことではなかったりと思う。
ある意味、ちょっと楽観的部分、そんなに頑張らなくてもいいのかもとか。不登校は悪いことではないよねって、むしろ不登校を選択できている時点ですごいこと。
いい意味での遊びの部分を持てるのがいいかなっていうのは、いまの私にも通じることもある。

大山:今回の進路相談会は、「高校入学」というタイトルにしてあるけど、生き方の全体と考えてみると高校進学は、ちっぽけなこと。本当は、もっと先のこととか奥深いところを考えていって、生きることを楽しむように支えてあげたらいいと思います。
生きることを支えるために進学のこととか、勉強のことを言っていたはずなのに、いつのまにか生きることが苦しくなってしまうような追い込み方してしまうことも多いので、親御さんの進学や勉強はひとつの分岐点に過ぎないということで、広くとらえてほしいと思います。


次回は、8月27日(日)13:30~アイミティ浜松です。

※静岡新聞の取材がありました。






  


Posted by hiro at 22:16Comments(0)活動事業

2023年06月03日

「2023 不登校生のための進路相談会」を開催します

今年度も、「2023 不登校生のための進路相談会」を4回開催します。

新型コロナウイルスの感染予防対策を引き続き行い開催しますので、ご協力をお願いします。
今年度はZoom開催は行いませんので、会場にお越しください。


学習支援については、昨年度と同様に月2回の定期開催、または希望者に合わせて行います。

「子ども不登校だけど、高校に行けるのだろうか」「このままひきこもりになってしまうのではないか」「発達障害の子どもは、どうしたら社会的な自立ができるのか」、悩む保護者の皆さんに、「子ども育ちレスキューネット」は10年以上寄り添ってきました。

子どもたちを支援するネットワークである本団体では、不登校であっても進学可能な高校、高卒認定試験(高等学校卒業程度認定試験)などの情報提供、個別相談、社会的自立に向けた地域のサポート情報もお伝えしています。
中学校で不登校を経験し、その後進学、就職した子どもや保護者の体験談も聞くこともできます。 どうぞ、お気軽にご参加ください。

〇内容
13:15~受付
13:30~15:00
・高等学校、高等学校卒業資格認定試験に関する説明、公立、私立高校の入試、入学後の受け入れ支援体制、義務教育卒業後の自立に向けた支援体制等の情報提供
・不登校を経験しその後進学、就職した子どもや保護者の体験談
・「社会的自立」に向けた地域サポート情報提供
15:00~16:00
不登校生に関する進路及びなんでも悩み個別相談

〇開催日と会場
7月2日(日) 
ワークピア磐田 磐田市国府台57-5TEL0538-36-8381
8月27日(日)9月27日(日)11月26日(日)
アイミティ浜松 浜松市中区船越町11-11  TEL053-465-5065


〇希望者には、学習支援を行います(要個別相談)

〇参加費等
参加費無料、なるべく予約申し込みをお願いします。
定員:各会場25名
参加予約方法:申し込みフォーム QRコードを読み込んで申し込みしてください。
またはTEL090-3936-5840(事務局服部)
①参加日②参加者氏名③連絡先をお伝えください。

〇対象者
 不登校生(中学・高校等)、高校中退者、引きこもりがちの若者とその保護者の皆さん、教育関係者、不登校支援に関心のある方

〇主催 子ども育ちレスキューネット 
(西部地区の子ども関係NPO団体やカウンセラーからなる団体)
 https://childrescuenet.hamazo.tv/

〇後援 
浜松市・浜松市教育委員会・磐田市・磐田市教育委員会
静岡新聞社・静岡放送 中日新聞東海本社

こくみん共済COOP地域貢献助成

〇新型コロナウイルス対策について
・参加者の人数を把握するために、参加申し込みをしてください。
 当日の参加は、定員に達している場合はお断りさせていただくことがあります。
・体調のすぐれない方の参加は、ご遠慮ください。
・会場では、健康チェックシート、アルコール消毒・換気等の感染対策を行いますので、ご協力をお願いします。

〇お問い合わせ・当日連絡先
 090-3936-5840 子ども育ちレスキューネット服部



  


Posted by hiro at 23:28Comments(0)お知らせ活動事業ネットワーク

2023年02月26日

「2022年 こくみん共済 coop 地域貢献助成」が決まりました。

子ども育ちレスキューネットは、「2022年 こくみん共済 coop 地域貢献助成」を受けることが決まりました。
2023年1月~12月まで、「不登校生のための進路相談会」開催、学習背支援費、相談会で配布している「不登校生のための進路手引き」書の見直しに活用させていただきます。
相談会は、日程が決まり次第お知らせします。

学習支援は、昨年と同様に月2回土曜日に行います(参加者の要望にも合わせます)。
学習支援連絡先:西村
TEL 080-5295-5785


画像をクリックすると拡大で確認できます


  


Posted by hiro at 22:58Comments(0)お知らせ事業ネットワーク

2022年11月13日

第4回「2022 不登校生のための進路相談会」が終わりました。

11月23日、今年度最後になりました第4回「2022 不登校生のための進路相談会」を開催しました。

会場参加者は、今年度1番多い20名、Zoom参加者1名でした。
今年度参加者は、会場55名、Zoom参加23組で、Zoom参加がかなり増えました。不登校生の増加も関係あるかもしれません。

今回は、大平大高校定時制の副校長の川村先生と浜名高校定時制の中村先生が参加してくださいました。
川村先生からは、静岡中央高校通信制と大平台定時制の概要と学習システムについて、中村先生からは夜間定時制の学習システムと今年度から変わった学習指導要綱と6年度から変わる高認試験の科目などの新情報をお話ししていただきました。

来年度も、相談会は開催の予定です。決まり次第、お知らせしていきます。
相談は、随意受け付けています。
TEL 090-3936-5840 e-mail childrescuenet@outlook.jp

今回の体験談は、中学・高校と不登校になり、高卒認定試験に合格してネイリストの資格を取得した経験を持つ、Aさんです。
現在は、2人の子どもを保育園に預けながら、働いているママです。

Q,不登校になった経緯は
A.3つの小学校が1つの中学になり、新しい友人、小学校の時の友達とはまた違う雰囲気の子たちと仲良くなった。中学生特有のグループ内での悪口やローテーションでの無視、仲間外れを繰り返すなど、人間不信になる出来事が頻繁にあった。次第に精神的なものから体調不良が続くようになった。2年生でクラスが変わっても、人間不信から友だち付き合いが怖くなり辛かった。
母から「義務教育は親が通わせる義務はあるけど、通わらなければならないとは違うんだよ」と言われて、思い切って通うことをやめた。

Q.高校生活について
A.不登校になった後、海外の留学へのあこがれもあり、14歳の時にひとりでニュージーランドへ行き、8か月間ホームステイをしながら現地の学校へ通った。その中でできた友だちがとても信頼できる優しい子たちだったおかげで、また前向きな気持ちを取り戻し、高校受験前に日本にも戻り高校に入学した。
高校では友人には恵まれたが、日本特有の厳しい校則や雰囲気に違和感を感じたのと、次第に勉強をするより早く社会にでてきたいという気持ちが強くなり、2年生に上がってすぐ中退を決めた。高校に1年通っていたので、単位がある程度取れていたため、高卒認定試験は2科目だけで合格することができた。

Qバイト、ネイルスクール、仕事のこと
A高校中退後の初めてのバイトは、フードコートでの接客や調理。そのとき知り合った女性からネイルをやってもらったことがきっかけで、ネイリストになりたいと思い、バイトをしながらネイルスクールに通い、約2年かけネイリストの資格を取った。
その後、ネイルサロンに就職し約2年勤め、結婚をきかっけに退職した。

Q.現在の仕事と子育て
A.2人の子どもを保育園に預けながら保険会社で外交員の仕事をしている。ネイルも知り合いや友だちにやっている。
子育てをしながら、遠距離通勤していて正直いろいろ大変ですが、過去のいろいろなできごとが自分を強くしてくれたように、今は思える。

Q.子どもが学校へ行きたくないと言ったら

A.もし、中学時代の辛かった時に戻れたとしても不登校になるという選択をすると思う。その後の高校中退という経歴なども、履歴書に何回も書く度に負い目を感じるし、高校や専門学校、大学に行っていたらと思うこともよくある。でも、あのときに無理に無理を重ねていたらと思うと、これでよかったとはっきり思う。
自分の子ども達には何事もなく平和な学校生活を送れることを望んでいる。もし、ということが起きたら自分の経験を話したうえで自由な道を選ばせてあげたいと思う。

Q.不登校の子どもや親へのアドバイス
A.不登校真っただ中のときの私は、大人に明るい未来の話やいろんなアドバイスを聞いても正直何も響かなかった。一歩前に進むタイミングも本人のタイミングだと思う。
ぼーっと何もせずに日々を過ごしたり、好きなことを見つけてみたりする中で、たまたま出会った人や物事が自分を元気にしてくれたり成長させてくれることもあると思う。
私もまだまだ子育て初心者なので、将来子ども達にとってどんな親でいられるかわからないのですが、常に子ども達の些細な変化や気持ちに気づいて向き合ってあげていけたらいいと思う。

  


Posted by hiro at 22:42Comments(0)活動事業ネットワーク

2022年09月13日

第3回「2022不登校生のための進路相談会」を開催しました。

9月4日、第3回「2022不登校生のための進路相談会」を開催しました。

新学期が始まったためか、参加申し込みと問い合わせが直前まであり、今回は会場19名(子ども2人)、Zoom9人の参加者がありました。
小学生から高校生の不登校の相談がありました。高校生の不登校は、9月末に単位が取れなくなる留年か中退か、中退の場合はどうしたらいいのか?転入・編入はできるか?という相談が、毎年この時期にあります。
今回は、体験談を聞いたZoom参加者の方が、感想をすぐに送ってくださり、体験談を話してくれた伊藤さんに伝えることができました。
Zoom参加のならではのリアルな出来ごとは、私たちにも嬉しいことでした。

〇浜名高校の定時制の中村先生から、定時制の情報をお話ししていただきました。
・今年の高校一年生から、教育課程が変わっている。世界史がなくなって、歴史総合になっているなど。履修科目、必修項目はいくつか変更ある。
・2024年度から、金谷高校が単位制定時制高校になって、不登校生を受け入れていくことになるなど、変わっていくことがこれからもある。
・定時制のほとんどは不登校生を受け入れている。
・浜名高校定時制の特徴としては、半分が外国籍、日本人はだいたい不登校生が多い。
人数的に一番多い定時制は、磐田南高で120人くらい、学年で40人くらい、浜名高校は30人くらい、あとは15~20人くらいが入学してくる。定員は40人。時期によって学校の入学者が、どーんと増えるときもある。
・勉強のサポートについては、大学の進学を考えると定時制は厳しい。数学は高校のレベルかと・・教員としては、ある程度のレベルで卒業はさせたいと思ってはいるが頑張っているから卒業させたいというせめぎあいがある。
・進路については、就職が多い。アルバイトができるので、在学中にアルバイトしてマッチングを図ることができる。就労支援をしている方や機関にきていただいたりしている。
・進学は、AOとか総合、指定校の推薦で入っている。
・不登校生でも全日制高校に入れないことはない。「静岡県の公立高校をめざすあなたへ1(その2)」kouritsukoukou1-2 (pref.shizuoka.jp)の中に書いてあるように入試の仕組みには3段階目があり、テストの点数が取れない、欠席が多い、面接がよくないとかで残っている生徒の良いところを見つけて入れましょうする学校があるので、「これが」というのがあれば入れると思います。ただ、不登校生に対するサポートは、ほとんどないと思う。


今回の体験談は、小4から不登校になり、小6から通ったフリースクルーに通い、通信制高校を卒業して、フリースクールのスタッフとして働いている伊藤萌美さん。
質問者は、当団体代表(フリースクールドリームフィールド代表)です。

大山:フリースクールに入ったのは、何年前?
伊藤:18年くらい前。ドリームフィールドができたのが2004年で、その時に私は小学校6年で通い始めた。

大山:フリースクールに入った時のことを話して。
伊藤:小4から不登校になり、もともと自覚はなかったけど、集団生活が合わなかったと思う。学校はみんなで一緒にやることとか枠の中からはみ出さないようにしなくてはいけないというのがプレッシャーであって、友だちを作った中で上手くやらなくては上手くいかないのも苦しくて。小学校4年生の時にクラス替えがあり、そのときに「この中でやっていけない」と思って不登校になった。
でも、その時は自分がどうして苦しいのか、学校のことを考えると気分が悪くなるのか頭がいたくなるとか、体調にでるのは結びつかなかった。最初は、体調不良で学校に行けなくなった。

大山:お姉ちゃんから、フリースクールの紹介をうけた?
伊藤:姉も不登校で、姉が通っている病院の先生から教えてもらった。先生が、大山先生と知り合いで。親は、私がフリースクールに通うことは期待していなかった。
ずっと家の中で暮らしていて誰にも会いたくないという気分だったし、親もフリースクールに行くことをすすめなかった。私が通う段階にあると思っていなかった。
たぶん、家の中で生活することに飽きてきたと思う。「じゃあ、私もいってみる」と通い始めたのが、きっかけ。で、ずっといる(笑)。

大山:入ったころは、毎日勉強してたよね。
伊藤:何かを吸収することが好きだった。勉強することは普通ではなくて、学校で勉強することが嫌だと思っていなかった。勉強が得意ですかと言われると、得意ではない。流れでやっていくのが安心だった。

大山:ステップアップしていくに重要な役割となったのは、エレキベースだよね。今でも人生の半分を占めていると思う。
伊藤:ドリームフィールドは、大山先生が音楽をやっていて、ドラムやピアノ、ボーカルの音楽講師が来てくださってる。音楽活動が盛んで、ドリームフィールド主催のライブが開かれていて、その中で「サルサガムテープ」という障がいのあるないという関係なくかっこいいバンドで、女性がエレキベースを弾いていた。その時は思っていなかったけど、女の子だから男の子からという枠に何にもはまっていない、私がベースを楽しそうに弾いてもいいんだと思った。
いま30歳ですが、12歳の頃から始めて30歳になるまで続けようとか、これからベースを始めたら人生が変わるかもという期待を持っていたことはなく、ただ楽しそうだから私もやってみたいとシンプルに思ったのが、自分の自信にもなっているし支えるものになっている。

大山:スクールオブロックというイベントに参加して、スクエアというバンドの人に見込まれて、ヤマハの人から連絡が来て、「是非、東京にでてきてやりませんか?」と誘われたけど、断ったのは高校に頃だった?その時は、どう思った?
伊藤:「勘違いしているのだろう?」と思った。
自分がベースを続けていられればいいと思った。東京って怖そうだし内向的なので、ドリームフィールドでベースを続けることが、自分のやりたいことだと思った。

大山:静岡中央高校通信制に入るのは、迷いはなかった?
伊藤:ドリームフィールドは、自分より上の人が通って人が多かったし、迷うことなく選んで入学した。

大山:通ってみてどうだった?3年間で、卒業したよね。
伊藤:もちろん、頑張ったけど、すごいとかえらいとかではなく、とにかくただ早く終わりたかった。その時の自分は頑張ってえらいと思うけど、高校を3年間で卒業したからえらいでしょとかでなくて、ただの事実でしょと思う。

大山:高校に入って、良かったこと、苦手だったことは?
伊藤:良かったことは、友だち関係を強制されないこと。クラスの中でやっていける自分をつくらなければならない。ひとりで過ごしてもかまわないと思うけど、「あの人ひとりで過ごしているね」と少しでもはみ出すことが許されないとか、ちょっと変わり者というのも許されないという空気が学校にはあると私は思と感じている。静岡中央高校通信制は、クラスは一応あるけどクラスで何かしましょうというのはない。ホームルームはあるけど何クラスとか集まっていて同じクラスの人が誰かも正直わからないっていうくらいのクラス分けで、友だちをつくらないとやっていけないとか、だれかの輪の中で自分をつくならければならないというのがなくてすごくよかった。自分が行く時間に向けて行き、テストがあり、スクーリングあり、一日の中で組立てて終わったら帰る。そこの人間関係にやきもきしなくてもいいのは、私には合っていた。
苦手なのは、日曜日と木曜日にスクーリングがあって、授業を聴くのがいやで電車の中でいまなら帰れると思って乗っていた。スクーリング以外のテストやレポートが嫌ではなくて、スクーリングに行くのが嫌だった。

大山:授業は、そんなに楽しいもんじゃないし。
 高校を卒業して、スクールのスタッフになった。高校通っているときも成長していると思ったけど、卒業してからも成長している。自分では思っていないかもしれないけど。
いろんな子たちのサポートしている。日々気疲れもすると思う。苦手なところもやってくれているけど、苦手なことはどんなところ?

伊藤;びしっといわないといけないところ。良い悪いをその場でギャッジして、びしっというのは、学校にいるときもあんまり自分の意見を言わないでうまく一日を終わることを重視していたので、自分のどう見られたいかというのを捨てて対峙して言うことは苦手なことでけど、やるしかないと思ってやっている。

大山:サポートされていた方から、サポートする方に立場が変わって大変だと思う。
一般的な臨床心理士、スクールカウンセラーとか全然違う、経験を積んでいる力があると思って頼りにしている。
これから先の自分のサポートの仕方とか課題はある?

伊藤:ドリームフィールドで子どもたちと接していて思うのは、高校や大学に入ってオッケ―ですという目に見えた区切りはないと思う。私が支えてきてもらった同じように、通っている子がこれから社会で生きていくサポートしていくと考えると、子どもと大人としてかかわる部分はあると思うけど、人として関わっていくことが重要だと感じている。私も責任をもって言わなければならない。厳しく言うときに、相手の機嫌損ねても嫌だしとか嫌な思いされたら私も嫌だしとか、目先の守りに入ってる場合ではなくって、この子が生きていくために良いことや悪いことであったり、高校卒業できていいということもあるけど、学力以外の社会で生きていく力、自分が人間として向かい合ってサポートしていくことが、今後もやっていくことだと思う。

大山:それは、参加している親御さん、子ども達に取り巻く大人たちも視点が必要だと思う。人が一人育って、自分の足で歩いて生きていくことを見据えて支えていくことが必要。
スクールに入ったころ、中学生の頃の自分にアドバスするとしたら?

伊藤:ドリームフィールドに入る前の子どもの自分にいうとしたら、「自分が型にはまっているかどうかは気にしない方がいい」が一番、いま型にはまっているからいい、はみ出しているからはずかしいと周りの目の評価が気になると、大人になってからも苦しいと思う。アドバイスは受け入れるけど、いろんな人の良い悪いのギャッジにブレないように。親身にアドバイスは大切にするけど、枠にはまっているかどうかは気にしないでほしいと声をかける。

大山:子どもが自分らしく生きるように機会をつくっていくみつけていくという立場で関わってほしい。

【Zoom参加のからの感想がありました】
体験談を聞いて、みんな進路を安定させるためにある時期から勉強勉強と言い出して、例えばベースみたいな何になるかわからないものをやめさせる傾向にあると思いますが、何よりも進路を決定し何か進むために、子どもを支える何か必要かということを親は忘れてしまうのだなと思いました。ベースに出会えて、本当に良かったですね。
伊藤:ありがとうございます。

次回は、10月23日(日)13:30~アイミティ浜松です。今年度、最後の開催になります。

  


Posted by hiro at 23:31Comments(0)活動事業

2022年08月13日

第2回「2022不登校生のための進路相談会」を開催しました。

8月7日、磐田市のワークピア磐田にて、第2回「2022不登校生のための進路相談会」を開催しました。

会場参加12名(子ども3人)、Zoom2名の参加がありました。
中学生から高校生の相談があり、毎年この時期は夏休みに入り2学期からの登校ができるようになるか、進路決定時期の焦りの不安が、保護者の中で増大しています。
いつも相談会で伝えていることは、「高校を出たからといって、立派な大人になるわけではない。学歴も学問は、生きていくため、自立するためのツールに過ぎない。高校もその選択肢のひとつ。選択肢はいくつもある。一番大事なのは、子どもの状況にあった進路の選択と進学の時期です。」ということです。そのために進路選択に必要な情報を、相談会ではお話しています。

今回の体験談は、中2で不登校になって、現在はクリエーターとして活躍されているりょうたさんです。
りょうたさんから、参加者の皆さんにいただいた「不登校でもなんとかなる」というメッセージを、多くの方に受け取ってほしいと思います。

りょうたさん クリエイター、イラストレーター、フリースクール講師
浜松生まれ育ちの27歳。

【不登校のきっかけ】
・中2のときに、不登校になった。中学校に入学して、勉強と部活をどっちも頑張っていい高校へ入学したい!と決めて、頑張っていた。
部活ではソフトテニス部で1番手、学校のテストでも上位10%くらいの中には入っていたが、力を入れすぎてストレス過多になっていた。うつ病、パニック障害にかかってしまい不登校になった。
現在も、うつ病とパニック障害は完治していないので、上手く付き合いながら生活している。
・不登校の期間はゲームをしたり楽器を触ったり改造したり好きなことをしていた。
高校について

【高校について】
・中学校を卒業して、全日制高校入学を進学した。無理してでも頑張りたいと思った。無理して入った分、精神的にきつく、長くは続かず病状が悪化し、再び不登校になった。
翌年、留年か退学、定時制高校か通信制高校へ転入するかの選択になって、4月から静岡中央高校通信制に転入した。
・通信制高校ではあまり集団行動がない雰囲気だったので、居心地がよくアルバイトをしながら、高校で単位認定と高卒認定試験を受けて単位を取り、最終的には高卒認定試験の資格を取って、建築の専門学校へ進学した。

【高校卒業後について】
浜松から名古屋に通学した。電車が苦手で、体調が悪いときは特急や急行電車にのると息切れ、吐き気でのれなくなってしまったので、各駅停車の電車で時間をかけて行ったり、体調に合わせて通っていた。
専門学校を卒業し、大学3年時に編入し卒業した。
大学卒業後は、県内の住宅会社の営業設計として就職したが、激務で再び病状悪化して休職から退職になった。

·退職後は担当医からとにかく休んでやりたいことがでてきたらやってみてとアドバイスをもらい、いまは休もうと思い休んだ。しばらくすると意欲がでてきて、イラストを描いたり、写真を取ったりドライブをしたりと自分の好きなことをして回復を待った。
·その中でもイラストを描くのが自分の中で楽しく、SNSにイラストを投稿した。イラストを見てくれた人が「いいね」してくれたり、リツイートしてくれたり、同じイラストを描いている方たちと繋がりができて交友できるようになった。イラストを描くことも、活動する場が楽しかった。
自然と描く機会も増えて、次はグッズも作ってみようかなと創作活動をするようになって、現在はクリエイター活動、フリースクール空などで創作活動の話や制作の手伝い、企業さんからグラフィックデザインの仕事の依頼が来るようになり、絵本屋でグッズの委託販売を始めたりと、いろんな活動をしている。

【参加者へのメッセージとアドバイス】
不登校になって将来への不安があった。
親は、「大丈夫だよ」と声をかけてくれていた。自分もなんとかなるかなと思っていたが、不安は残っていた。自分で経験しないとわからない部分はあると思うが、不登校なって10年以上たったけど、「なんとかなる」というのが経験上ほとんどだった。
子どもも保護者の方も将来について不安が多々あると思うが、結局なんとかなるというのを痛感している。
過度に将来に不安を持ち考え過ぎずに過ごしてほしい。
良い方向へ向かう可能性を広げられるように、今の行動をコツコツ続けていくことが大きいのかなと思う。例えばいまやりたいことを熱中してやってみる!でもいいし、今日は疲れているからゆっくりNetflixを一緒に観るでもいいと思う。

【西村より】フリースクール空代表・子ども育ちレスキューネットメンバー
最後の「なんとかなる」という言葉が、とても心強いと思う。不登校の子どもをたくさんみてきたけど、なんとかなっている。
なんとかならないケースもみているが、それは家庭環境、親が子どもを追いつめたり、子どもの味方になっていない、親と学校が結託して子どもを責めるケースなど。長い目でみると、どうにもならなくなっている。
親もなんとかなるだろうと子どもを信じる、「学校に行けなくてもいい子である」と、いつかなんとかあると信じること。
りょうたさんも親が信じてくれたので、いまがあると思う。

りょうたさんの作品は、InstagramとTwitterでご覧いただけます。
IInstagramは作品例として運用
https://www.instagram.com/ryota_grape/

日々の更新はTwitter
https://twitter.com/ryotanoe



次回の相談会は、9月4日(日)13:30からアイミティ浜松で開催します。


  


Posted by hiro at 22:13Comments(0)活動事業

2022年07月26日

第1回「2022不登校生のための進路相談会」を開催しました。

7月23日、第1回「2022不登校生のための進路相談会」を、コロナ感染対策を行い開催しました。

会場参加14人(子ども3人)、Zoom参加は11人でした。
今年は、県教育委員会が令和5年度の高校入試について「公立高校への出願は不登校でもできます」と明文化したので、参加者に配布する「不登校生の進路手引き」を一部修正しました。ただ、、出席日数や成績などの調査票の評価が取り入れられることから、出願できることと、合格できることと一致するものではありません。また、一般選抜とは別に、「特別選抜」(県西部は天竜高校春野分校)として長期欠席生徒選抜も実施しています。
相談会では、この説明を詳しく行っています。

<参考資料>公立高校を目指すあなたへ1(その2) 
高校入試Q&A Q5中学校で欠席が多い場合の出願は?
https://www.pref.shizuoka.jp/kyouiku/kk-050/documents/kouritsukoukou1-2.pdf

追加資料として「不登校児童・生徒の学校以外の居場所」を作成しを配布しました。
今年度から、相談会のアンケートを作成しました。、アンケート回答者と参加した子どもたちから「説明はわかりやすかった」「情報は参考になった」と回答をいただけました。
 

今回の体験談は、中学から不登校、通信制高校から専門学校に進学し、ウエイブ技術者になったK君とお母さんです。
質問者は、K君が通っていたフリースクール空の代表の西村です。

Q.いつごろから、学校にいけなくなった?
A.中学1年の2学期ごろ。
.Q.何がつらかった?
A.中学校は部活が必修で、授業やって部活をやると結構大変で、そのあたりで全然ついていけなくなった。
Q.つかれちゃった、いっぱいいっぱいなった感じ?
A.そうですね。
Q.友だち関係、人間関係はどうでした?
A.特に、可もなく不可もなく、楽しくやっていた。小学校時代と違って、やることが大変になったことがある。
Q.学校に行かなくなって、どのように過ごしていた?
A.ずっとパソコンに向かっていて、昼夜逆転になっていた。何か月も続いた。
Q.K君は、小学校の時にパソコン整備士の資格を取ったほどパソコンがすごく得意で、その時から、将来パソコンで仕事するからいいやということではなかった?
A.ただ、時間をつぶすためにパソコンをやっていた。
Q.フリースクールに来たときは、外へでてみようと思った時期だったのかな?
A.だったのかもしれない。しばらく家にいて飽きてたのかも、そういうことを考えていたかな。きっかけは忘れたけど、思っていたかも。
Q,K君は、字を書くことに拒否が強くて、そのかわりパソコンでいろいろ書いていたけど?
A.漢字を覚えられない。手でなにかするのが苦手。絵を描くことも苦手。工作は好きだけど、書くことに抵抗がある。今でも、同じ。
いまだに、漢字は全然わからないし、字は書けない。パソコンでできることは、パソコンでやる。
Q.中学卒業後の進路を考えるとき、高校はどういう風に選んだ?
A.自宅から通学しやすいところ。オープンスクールに行って、生徒さんが相手をしてくれて楽しかった。自分も、こういうオープンスクールの手伝いをしてみたいという気になった。
Q.第1高等学院高校(私立通信制高校)に入って、3年間ほとんど休まずに通えた?
A.週3日コースで、行く日を決めて行っていた。
Q.卒業式に招かれて行ったときに、「一番高校に貢献した生徒」で表彰されて、びっくりした。得意な編集作業で、学校のプロモーションビデオを編集して貢献したと聞いた。いろいろと任せてもらえた環境もある?
A本当に、そのおかげです。自分しかできないからやってと言われると頑張らなくては思うけど、頑張りは苦ではなかった。
Q.先生方が、得意なことをいろいろ任せてくれる環境は、とてもよかったと思う。
 専門学校は、自分な好きな分野に行った?

A.グラフィックデザインの専門学校に3年間通った。パソコンで編集してデザインとかポスターを作ることを学んだ。
Q.それから、就職して3年目。仕事の内容を教えて。
A.パソコン関係で、ウエブの技術者。アプリケーションやスマホのアプリを作っている。
Q.仕事はやりがいがあって、楽しい?
A.本当に楽しくて、技術者なので学ぶこと多くがあるけど、その学びも楽しい。
知らないことを学んで知りたいと思うことが、楽しい。
Q.やりたい仕事を見つけられたということはすごく大きい、そこに至るまで周りが無理強いとか嫌なことを強要しなかった県境は良かったと思う。ご両親は、どのように接していた?
A.最初は、行ってほしいというのはあった。自分の好きなようにさせてくれたのは良かった。
そのおかげで、やりたいことを突き詰めて今の仕事がある。
Q学校に行けなくなってから苦しい時期があって、みんながK君みたく順調にいくことばかりではないけど、今現在学校にいけなくなってどうしよう悩んでいる子どもと親に思うこととかアドバイスはありますか?
A楽しいと思ったことを続けることが一番かな。嫌になってくるとあるとは続かないことは、中学でわかったので。どんなことでも続ける方がいい、楽しいことをみつけるのは簡単ではないけど、みつけたら伸ばしてほしい。

続いては、K君のお母さんです。
Q.中学校に行かなくなった時の気持ちは?
A.中学に入って、1学期は部活も頑張って休まずに行って、すごく楽しそうで夏休みもほぼ毎日部活があって友だちと楽しくやっていた。2学期に入ってから不登校、学校いきしぶりになって、これからずっとひきこもりになって、何年も家にいたらこの子の将来はどうなるんだろうと先のことばかり不安になって、本人の気持ちはおいて親の気持ちばかり焦って、本人の気持ちをないがしろにして、どんどん親が決めていく状況だった。
いきしぶりになって3か月くらいあったけど、登校できなくなっても全然気がつかなくて子どもを置き去りにしていた。フリースクールに行くまで1年。仕事をちょうどやめていた時期だったので、どうしているか夜も昼もやたらに部屋を覗いていた。夕方起きてご飯を食べてお風呂に入って、20時間くらい寝てるときも、ずっと続きました。
Q,やはり、パソコンをやっていることが多かった?
A.部屋から出てこなかった。友だちとも連絡とらなかった。
 最終的に20時間寝て復活してきて、それを過ぎたら小学校から通っていたパソコン教室に通うようになった。そんなときに、フリースクールに通うようなった。
Q.中学校で疲れてエネルギー切れて、ひたすら寝て充電してエネルギーをためて外にでられるようになった。ひきこもりの時期も必要だったということですね。
フリースクリにきて、高校に行って専門学校にも行って、学校生活をみて思ったことは?

A.小学校は楽しんで通っていて、高校もすごく楽しんで通っていた。最初の1か月は3日で、あとはほとんど毎日通っていた。専門学校は厳しくて、3日休むと隊員がとれなくなると聞いていたので心配だったけど、本人が好きなことだったので休まず楽しんで通った。
Q.不登校だった子は。県境が変わったりすると通えなくなってしまうことがあるけど、順調だったと思う。自分も好きなことが選べたからかな?
A.できることとでできないことがあって、字が書けないと事務的な事後とは無理、好きなことだったら寝なしでも突き進んでいくことがある。結果的に、好きなことを選んでよかったと思っている。
Q.最近は、親子で陶芸教室に通っていると聞いている。親子で過ごす時間もあり、穏やかに暮らすことができている。今日参加している親子に、ひとことあればお願いします。
A.20時間寝ていたときのように、ぴたっとエネルギーが切れてしまうことがある、そのときに親がなにかせようと思っても無理。寝たいときは寝かせて、エネルギーがいつたまるからわからないから親が待っているのが不安で親が耐える時。子どもを信じて待つことが必要と簡単に言葉でいうことはできるけど、昼夜逆転の子どもをみているとどんどん不安になってしまうことが現実。親同士支えあえる同じ仲間がいれば、乗り越えられる。
穏やかな気持ちで充電できるのを待つのが子どもにとってもいいと思う。

西村
娘二人が不登校だった。今は結婚して子どももいる。午前中は、孫とプールで遊んできた。
不登校のときは、こんなときが来るとは思うことができなかった。
悲観的なってもよくならないので、すごく楽観的にならなくても、子どもを信じるということ。学校がいいところとすると学校にいけないことは悪いとなってしまうので、この子は間違っていないと思うことが、この子はいい子になる。
一番苦しんで切るときは、将来こうなると信じられない。子どもを信じるということが、10年後、20年後にこんなにかわると思わなかったいうときがくる。親からは、いまは穏やかにくらしていると、こんな話を聞くことがたくさんあるので、安心してください。

次回は、8月7日(日)13:30~ワークピア磐田で開催します。


静岡新聞と中日新聞の取材がありました。














  


Posted by hiro at 22:22Comments(0)活動事業

2022年06月19日

「2022 不登校生のための進路相談会」を開催します

今年度も、「2022 不登校生のための進路相談会」を、4回開催します。

新型コロナウイルスの感染予防対策を引き続き行い開催しますので、ご協力をお願いします。
今年もZoom参加も受け付けします。

感染拡大、緊急事態宣言等がなされた場合は、中止になることがあるかもしれませんが、その際は個別相談等の受付を行います。
学習支援については、浜松市子どもの居場所づくり助成事業費(2022年5月~2023年2月まで)を受けて、月2回の定期開催、または希望者に合わせて行います。

「子ども不登校だけど、高校に行けるのだろうか」「このままひきこもりになってしまうのではないか」「発達障害の子どもは、どうしたら社会的な自立ができるのか」、悩む保護者の皆さんに、「子ども育ちレスキューネット」は10年以上寄り添ってきました。

子どもたちを支援するネットワークである本団体では、不登校であっても進学可能な高校、高卒認定試験(高等学校卒業程度認定試験)などの情報提供、個別相談、社会的自立に向けた地域のサポート情報もお伝えしています。
中学校で不登校を経験し、その後進学、就職した子どもや保護者の体験談も聞くこともできます。 どうぞ、お気軽にご参加ください。

〇内容
13:15~受付
13:30~15:00
・高等学校、高等学校卒業資格認定試験に関する説明、公立、私立高校の入試、入学後の受け入れ支援体制、義務教育卒業後の自立に向けた支援体制等の情報提供
・不登校を経験しその後進学、就職した子どもや保護者の体験談
・「社会的自立」に向けた地域サポート情報提供
15:00~16:00
不登校生に関する進路及びなんでも悩み個別相談

〇開催日と会場
7月23日(土)9月4日(日)10月23日(日)
アイミティ浜松 浜松市中区船越町11-11  TEL053-465-5065
8月7日(日) 
ワークピア磐田 磐田市国府台57-5TEL0538-36-8381

〇希望者には、学習支援を行います(要個別相談)

〇参加費等
参加費無料、予約申し込みをお願いします。
定員:各会場20名(Zoom参加は、制限なし)
参加予約方法:申し込みフォーム QRコードを読み込んで申し込みしてください。
またはTEL090-3936-5840(事務局服部)
①参加日②会場又はZoomを選択③参加者氏名④連絡先をお伝えください。

〇対象者
 不登校生(中学・高校等)、高校中退者、引きこもりがちの若者とその保護者の皆さん、教育関係者、不登校支援に関心のある方

〇主催 子ども育ちレスキューネット 
(西部地区の子ども関係NPO団体やカウンセラーからなる団体)
 https://childrescuenet.hamazo.tv/

〇後援 
浜松市・浜松市教育委員会・磐田市・磐田市教育委員会
静岡新聞社・静岡放送 中日新聞東海本社
浜松市子どもの居場所づくり助成事業

〇新型コロナウイルス対策について
・参加者の人数を把握するために、参加申し込みをしてください。
 当日の参加は、定員に達している場合はお断りさせていただくことがあります。
・体調のすぐれない方の参加は、ご遠慮ください。マスクの着用を、お願いします。
・会場では、健康チェックシート、アルコール消毒・換気等の感染対策防止を行いますので、ご協力をお願いします。
・感染拡大などによる状況に応じて、中止になる場合がありますので、Facebook・ブログで確認をお願いします。中止になった場合は、後日個別相談等の受付を行う予定です。

〇お問い合わせ・当日連絡先
 090-3936-5840子ども育ちレスキューネット服部
   ←参加申し込みフォーム








  


Posted by hiro at 23:15Comments(0)お知らせ活動事業ネットワーク

2022年03月15日

相談用のメールアドレスを変更しました

相談用のメールアドレスを変更しました。
新しいアドレスは、
childrescuenet@outlook.jp
になります。

よろしくお願いいたします。

もうじき、新年度が始まりますね。
スタートが不安だったり、心配なことなど

相談は、いつでも受け付けています。

今年度の「不登校生のための進路相談会」の日程は決まり次第お知らせします。



  


Posted by hiro at 22:59Comments(0)

2021年12月07日

第4回「2021不登校生のための進路相談会」を開催しました。

11月14日、今年度最後の第4回「不登校生のための進路相談会」を開催しました。

今年度4回の参加者は、43組59人(子ども2人)、うちZoomによる参加者は14組でした。相談者の対象は、例年通り中学2、3年生の相談が多いのですが、小学低学年から高校生まで幅広くありました。支援者や養護教諭の方の参加がありました。
コロナ禍の対策でのZoom開催でしたが、Zoom参加で体験談を続けて聞きたいと参加された方やZoomなら子どもと参加できそうなので、今後も続けてくださいという感想が寄せられました。
会場での対面参加を希望される方も多く、Zoom参加も合わせて、来年度の開催に向けて準備していきたいと思います。

来年度も例年通り、開催を予定しています。決まりましたらお知らせしていきます。


今回の体験談は、フリースクールドリームフィールドのスタッフ池上千絵さん(ちえぞうさん)です。
今回は、静岡新聞の取材があり、池上さんが取材を受けてくださいましたので、実名で体験談を掲載します。
質問者は当会の代表でフリースクールドリームフィールドの代表でもある大山です。

大山:ドリームフィールドに通ったのは、いつから?
池上:2004年、スクールが始まってから。

大山:スクールに来る前は、どうだった?

池上:小学校2年から不登校だった。今思うと、幼稚園くらいから幼稚園に通いたくなかった。朝も今日もいかないと駄々をこねた記憶があり、その頃から不登校の素質があったかも。
中学校も1週間くらい通ったけど、合わないと思った。中学1年生の頃に、ドリームフィールドができて、ちょっと通ってみようかなと思った。

大山:不登校歴が長いだけど、「学校に行かないぞー」と行かなくて済んだ?
池上:両親が忙しかったので、私を祖母がみてくれていて、祖母は「学校が楽しくなさそう」と気づいていたみたいで、小2の時に「もう、学校には行かないことにする」と宣言したときに、母は「そうなの」と言って、祖母から聞いてたみたい。
父としては学校に通わせなければいけないと思っていたみたい。母は無理に通わせてもしょうがないかなと思って、学校に合わないことを感じていたみたい。無理矢理行かせようということはなかった。

大山:どうのように過ごしてた?
池上:日中は、祖母のところで過ごしていた。「勉強しなくていいの」「学校行かなくていいの」と言われなかった。フルーツパークに連れて行ったり、学校行くこと以外のことをやらせてくれていたと、いま思う。

大山:おばあちゃんちがフリースクールだったよね。
池上:そうですね。いろいろと教わった気がする。

大山:一般的な学校の勉強はやらなかった?
池上:自分では本を読むのが好きだったので本を読んだり、今みたくYouTubeとかなかったのでEテレみたりしてた。勉強は学校のプリントは、全然しなかった。

大山:それでも、家の人は心配しなかった?
池上:もともと自分が、テストで100点取らなきゃとか先生に怒られないようにしなきゃとかが強くて苦しんでいたので、あえて触れないようにしてたと思う。

大山:なぜ、フリースクールに行こうと思った?
池上:このまま、家にいるのは良くないと思った。

大山:飽きてきたと思ったことはある?
池上:う~ん。そうですね・・・。

大山:不登校の子どもは、外へ出るタイミングがある。外へ出たくなるタイミングに選択肢があると良いけど、無理矢理にひっぱりだそうとすると中に入ってしまう。
池上:自分の場合は、中学校が決定的にダメだと思って、そう考えるとこの先学校に行く選択肢はないと思った。だとすると、他の選択肢を見つけた方がいいと思った。

大山:中学校のどんなところが、徹底的にダメだと思った?
池上:妙に上下関係に厳しくなって、1年生はジャージの前を一番上まで閉めてないと目をるけられるよとか、どうでもいいことが増えした。柄のついた靴下はダメだよとか、それを同級生同士が見張っているとか、そういうのが気持ち悪くて。同調圧力みたいのがダメ。


大山:そういうのを身に着けて、大人になちゃう。
最初にちえぞうを見たとき「頑固な子」だと思った。それは尊重しないと思ったけど、もう少し丸くなってくると良いなと感じた。だんだん丸くなって成長しているけど、自分の中ではどう?

池上:自分の完璧主義のところ、こだわりの強いところとか自分が正しいと思って他人に押し付けてしまう部分は、フリースクールに通い始めて見えてきたところ。自分は、こういうところが関わりずらいんだというところが整理できた。

大山:自分自身を客観的にみえるようになってきた?
池上:そうですね。自分はこうあるべきと思っていたところ「勉強はできなくていいんだ」「何もかもちゃんとしてなくてもいいんだ」と思えるようになった。

大山:社会通念みたいなところから自由になると楽になるね。
池上:そうですね。人に押し付けないようにしようと思った。

大山:静岡中央高校通信制に通うことを決めたのは?
池上:中学校の時の雰囲気、毎日学校に通って、同世代の中にいてというのは自分に合わないと思っていた、静岡中央高校だったら、スクーリングはあるけど平日は家やフリースクールで勉強すればいいし、自分のペースに合っていると思った。

大山:勉強することは難しかった?
池上:自分で勉強することが基本、私の場合は、フリースクールで勉強を教えてくれる先生がいて、その時に勉強がわかないところや進め方は教えてもらった。静岡中央高校に通っている子が何人かいたので情報共有をして、テストの問題を教えてもらったりした。全くひとりでわからいところを進めるのが、通信制の難しいところ。

大山:よかったところは?
池上:ペースに縛られないところ。行事も自由参加なので、体育大会に出たければ出ればいいし出たくなければでなければいい。自分は出たことないけれど、出た子の話では、ガツガツ「クラスで点を取りに行こうぜ」という体育系でなく、割と緩くに参加できる感じなので、そういうのが苦手な子は参加しやいかも。

大山:ちえぞうは、体育とか苦手だと思うけど?
池上:体育は、ほぼ同じスクールの子と出てて、ペア組むときは一緒に組んでた。

大山:楽な科目の単位の取り方とかは?
池上:体育は1年間で、何月は球技、体操とかカリキュラムが決まっているので、年後半には学校の周りをウオーキング、1時間45分くらい歩いくというのがあるので、それで単位分を取った。
数学は苦手で、ほぼ意味がわかっていなかったけど、1年生の時はお母さんが解いたのをそまま提出した。テストは、ほぼ35点ギリギリだったけど合格してやり過ごした。

大山:選択科目は、どう取った?
池上:理数系が苦手だったので、地理と日本史や社会系倫理とかビジネス基礎とか取って、テストは穴埋め式で穴を記憶しておけば取れる。自分の得意に合わせて取れるのは、通信のいいところ。

大山:4年で卒業したのはなんで?
池上:スクーリング少ないとはいえ、やっぱり行くのはすごく嫌だった。
3年で行った子もいたけど、それはそれ以上行きたくないって。

大山:ちえぞうは絵がすごく上手で、フリースクールの作品展は何年の時に出してくれた?
池上:フリースクールに通っていたのが、中学生なのでそのくらい。

大山:絵を生かしていければいいと思っていたけど、就労支援場所のいもねこカフェやいもねこクッキーを作っているロゴのデザインとチラシは、ほとんど全部ちえぞうがやっている。自分自身は、戸惑いとかなかった?
池上:なんで急にとか?でも、よくある無茶ぶりかなと思った。

大山:高校卒業するときに、大学や専門学校に行くという選択はなかった?
池上:いくつか迷ってはいた。自分が何に向いているか、得意なこと苦手なこともわからなかった。通信の時に、自分は締め切りに合わるのは苦手だと思ったけど、それは克服できるものなか、頑張らない方がいいのか見えていなかった。震災の起きた年で「この先、日本どうなるか?」と思った。

大山:その年に、フリースクールが児童デイサービス(現在は放課後デイサービス)として使えるようになって、18歳以上の子は就労支援と福祉事業所として使えるようになった。
ちえぞうの賢さとアートのセンスは評価してたけど、何かにのめりこむとブレーキが利かくなるし、でも極まなけらばストレスもたまるだろうなというところで、バランスが必要かと思った。デザインはメインだけど、スタッフとなって、子ども達との関りが増えた。
賢いし考えるしアイデアの出してくれるし助かっているけど、どこかで方向を示してあげる必要性を思いながらいる。最初は、子ども達と関わってどう思った?

池上:ドリームフィールドは上下関係がなくて、フリースクールに新しく来た子を案内するとか話をするとかはスクール生同志が行っていることも多かったし、スタッフになってから責任もって見なきゃというのはなくて、いままでの延長線かなと思った。

大山:やってからの難しさはあったと思うけど?
池上:どうしても、この子にこういうの合わないのかな難しいのかなと、勉強だけではなくて、ちょっと音楽やってみる絵を描いてみるとか言ってみるみたいな。
その子が自身がやろうと思ってないことでも、案外やってみると上手くできたり楽しかったこともあったりするけど、こっちが思い込んじゃうといつまで経っても踏み込めない。思い込まないようにしようと思うけど、日々のルーティンでサインを見逃すこともあるので、気を付けようと思う。

大山:子ども達の意外性は、面白いよね。
池上:この子とこの子は合わないだろうなと近づけないようにしてたけど、話してみるとうちとけたりとか、自分自身が急に「ロゴ作ってよ」と言われて作ってきたので、それをみんなにしていこうと思う。

大山:学校は苦手なことでも、みんなやりなさいよと押し付ける。でも、時には新しい出会いや学問の目覚めとかあるけど、トップダウンでやってしまいがち。家庭とか近くの大人とかは、逆に守りに入ってしまいがち。その中間の部分が必要だと思う。傷ついてりしないように、新しいことを知ったり可能性を見つける、そのバランスが難しい。ちえそうは、その中途半端の部分で働いているから苦しかったり難しいと感じると思うけど、経験の中でどう?
池上:自分はこうだけど、他の人は違うだろう。でも、先生だったらやってみようというかなと考えている。やったからといって、上手くいくわけではない。

大山:親はやるからには頑張ってやってもらわなきゃとか、お金出すからちゃんとやってとみないになってしまうけど、ダメもとで辞めたくなったらやめてもいいよくらいの気持ちの方が、わりとフィットしたり、合わないときは辞めたりできる、そういのが必要。
前からやってるドラムは、最近どう?

池上:最初は自分もやる気なかったけど、他の子がやっているのをみてやってみようと思ったけど、上手くなりたいとかガンガンやろうとは思わすにやってきたからこそ、続けてきたと思う。

大山:フリースクールのスタッフになって良かったこと、良くなかったと思うことは?
池上:フリースクールに17年間いて、他の生き方を知らないのでいいのかなとはあるけど、自分が人間として劣っているとは感じていないので、社会にでないとわからない世間知らずと感じる人がいるかもしれないけど、別にそこで生きていればそれなりの成長はしていると思う。

大山:20年間教員やっていたのでわかるけど、いまいるスタッフは教員ができる。学校の先生より、スキルがあるし、丁寧によく子どもをみてる。学校の先生の手法は、子どもをみずにひとつの手法で押し付ける。叱るときのスキルを身につけていて、しかりながら受け止める許せる、友だちと喧嘩しても両方と同じように接するので、すごいなと思う。
最後の保護者の皆さんに、アドバイスをお願いします。

池上:自分も保護者の年齢に近づいてきて、時にはこの子何回言ってもきかないなともどかしく感じることもあって、このまま人の意見聞かなくて育って大丈夫かなと勝手に心配になるときがあるけど、もっと大きい目でみたりとか、自分が子どもの頃のことを考えると、案外なんとかなという実感ある。やっぱり、ちゃんとやらなきゃと思うのは苦しい。
大山:ゆとりとか遊びがあるといい。ちえぞうは、サービス管理者の資格も持っている。
通信制高校はでたけど、学歴は関係ない。子どもがどうしたいかを大事にしてほしい。




  


Posted by hiro at 00:31Comments(0)活動事業

2021年10月27日

第3回「2021不登校生のための進路相談会」を開催しました。

10月17日第3回「2021不登校生のための進路相談会」を開催しました。
5組6名の会場参加者(うち子ども1名)と4名のZoom参加者がありました。

体験談を聞いて参考にしたいと、Zoomで続けて参加された方もいました。
毎回、不登校経験の体験談は、参加者の皆さんが引きつけられていることがわかります。
不登校のときは、どんなことを思っていたのか、周りの大人にはどうしてほしかったのか、進学しようと思ったきっかけや理由、社会人になって振り返った思い、参加者の方に伝えたいことなど、自分の体験が役にたつならと体験談を語ることを承諾してくれる方たちの一人ひとり違う体験は、私たちメンバーも何回聞いても、気づかされることがあります。
子どもの現状を知ること、そして将来への不安や心配の軽減、保護者の対応の仕方についてなど参考になればと思い、毎回体験談を聞く機会を設けています。

ブログには、毎回の体験談を掲載していますので、是非ご覧になってください。

今回の体験談は、フリースクールに通いながら静岡中高校通信制に通うYさん。
昨年に続き、2回目になり、今回はお母さんのお話も伺いました。
質問者は、子ども育ちレスキューネットのメンバーでもあり、フリースクール空の代表でもある西村です。

西村:いまの様子からは想像ができないけど、いじめで辛いを思いいっぱいして不登校になり、だいたいうちにいた?

Y:鉄道という趣味があったので、家にはいたけど外に出ていた。

西村:やっぱり、趣味の力は大きい、心の支えになっていた?

Y:大きく、支えになっていた。鉄道好きだったのは、小学校入る前くらいから。電車を見に外へ出かけていた。


西村:家出をしたことも聞いたけど?遠くまでいったんだよね。

Y:しましたね。小6の時に、家のお金を盗んで香川まで行きました。

西村:Yくんは、エネルギーがあり余っている感じがして、元気な時と落ち込んでいるときの落差があった。最近は、だいぶ落ち着いてきたのは、自由を手に入れたから?

Y昔は学校に行かなきゃいけない、でもいけないのがあって、中学校で入院してサポートを受けたけど、中3になってそのサポートが学校で拒否された感じで、そこで自分で「もう、この学校ダメだ」となった。そこで、フリースクール探して行くようになって、学校も通信制で好きなことしようと思って、やりたいことができるってことが一番。

西村:この1年で、バイクと自動車の免許を取って、ますます自由度がましたけど、ちょっと前までは落ち込んだ時に荒れたりしていたのが、いまはそういうのがないのは、移動手段を手に入れたから?

Y:それはあると思う。一番最初に、125ccのバイクの免許を取った時に、自分で運転することは凶器を持っていることだから、自分で行動を制御できないといけない危ないと思って制御できるようになった。バイクがすごく好きになって、好きなもので危ないことできないと思った。しっかりしようと思った。

西村:小中学校の頃を思うと、いまは生き生きしていると思うけど?
Y:小中学校の時代よりは楽しいし、バイクと出会ったときに、いままでためてたものが噴き出た感じで、すごく楽しい。鉄道はしかれたレールに沿って走るだけだけだったけど、バイクは自分で操作できるのは、すごく楽しい。125ccで伊勢まで行って、物足りなく400ccで四国まで行って、物足りなくて大型取って、いまハーレー乗ってて、すごく楽しい。小中学校時代は、できなかった、やろうと思わなかったことを、いまやっているのは自分が変わったからだと思う。

西村:友だちの存在も大きかったのでは?

Y:それもある。ネットで友だち作って、実際に会うのは最初はすごく怖かったけど、会うと楽しかった。友だちに差撮影に行こうと誘われて、外へ出るきっかけになった。

西村:今悩んで切る不登校生や親に、アドバイスできることはありますか?

Y:子どもには、いまやりたいことがなかったり、外へ出る原動力がないから引きこもっている可能性はあるけど、やりたいことは見つかるはずなので、お父さん、お母さんにできるだけサポートしてほしい。見つかったら、原動力になって外へでるきっかけになると思う。
親に伝えることは、本人がやりたいと思ったことは、できる範囲でやらせてほしい。
母は、自分ができると思ったことはできるんだったらやりなさいとやらせてくれた。
そうしてくれると子どもも、自分もやることやらないという気持ちになると思う。できる範囲でサポートして、無理な時はいまは難しいかもと言うことも必要だと思う。無理矢理に外へ出すのではなく、自分が出たいと思うまで待ってほしい。


西村:最後に、自分をいじめた子たちに会ったら、どう思う?

Y:まずは、いじめたことを責めるんじゃなくて、「あのときは、よくないことをしたかも、ごめんね」とひとこと謝って。仲悪いのって嫌なので、ちゃんと自分からも話して、改めて仲良くなったらいいかなと思っている。

西村:今日は、お母さんも来てくれているので、ひとこといいですか?Ý君がバイクの免許取ってから、お母さんもバイクの免許取って、今日はツーリングでバイク2台で来たのですか?

Y母:はいそうです。

西村:Y君が話してくれましたけど、お母さんもそばで見ていてつらい時期があったと思いますけど、いまの姿を見てどう思いますか?

Y母:バイクに乗り出して、自分のことを自分で決めて自分で行動するようになった。電車は運転手にならないと無理だし、車は興味がなかった。原付を取るって言ったので「いきなり公道に出るのは怖いから、教習所に行きなさい」と言った。私も興味があったので、息子に「お母さんも一緒に行くよ」と言われて、「わかりました」と言って、一緒に行った。
公道に出てから、責任を持たなきゃとか、すごく変わりました。バイクの道に進みたいから、高校は面倒くさいけど頑張らなきゃと、その先に自分がやりたいことがあるからとすごい頑張っている。


西村:お母さんから、悩んでいる親に何かアドバイスはありますか?

Y母:とにかく、なんかある、可能性のあるものは全部体験させてあげる。やってこいではなく、一緒にやって。車の好きな子なら、その前にバイク乗ってみないとか、いろんなことはあると思うけど、一緒に楽しむことかな。できる限りでいいけどそういうことからやっていくことで見えてくる。私も学校は行くべきだと思っていたから、パジャマはがして制服着せて、車に靴を放り込んで、本人をねじ込んで闘いました。学校には行くけど、エレベータに乗らないので、ふたりでウロウロしたり・・すごい苦しみました。私が、学校の先生とやりあってから、もういいんじゃない、やるだけやればという気になって。でも、時々衝突してたけど、いまはほとんどない。
やらせなくっちゃという思いがあったけど、年をとれば自分でわかるので、あとは待つ、親も一緒に楽しむ、気を抜く。親が頑張ると子どもは気が抜けない。ご飯を作りたくなければ、一緒にお弁当を買いに行くとか、そんな感じになっている。お互いに最低限の責任は果たしている。


西村:ありがとうございます。それぞれの家庭の事情があると思いますが、参考になるお話があったと思う。いままで過ごしてきた歳月があり物語があるので、焦らずに行ってほしい。

次回の相談会は、今年度最後になります。11月14日(日)13:30~ 会場は浜松市市民協働センターになりますので、お間違えなく。




  


Posted by hiro at 00:11Comments(0)お知らせ活動事業

2021年10月01日

第2回「2021不登校生のための進路相談会」を開催しました。

9月19日第2回「2021不登校生のための進路相談会」を開催しました。
コロナ禍の緊急事態宣言の中、定員を制限し12組15名の会場参加者と4名のZoom参加者がありました。

静岡県の高校受験状況が変わってきています。
今年度は県立高校の定員割れが起きていて、高校実質無償化による私立高校への人気が増加しています。私立通信制高校は増加しています。
不登校生の受け入れ校には、毎年入試や受け入れ状況等について聞き取りを行っていますが、私立高校、私立通信制高校は、少子化の中で、どう特色を出していくか、そのために方針をどうしていくか、年単位で変わってきています。
このような状況の中で、ますます相談会開催の意義を感じ、これからも子どもに合った進路選択をどのようにすればいいのか、情報提供を行い、親と子どもに寄り添いながら一緒に考えていきます。

今回の体験談は、今年4月からフリースクールのスタッフとして働いている、不登校経験者の今井さんです。質問者は、子ども育ちレスキューネットのメンバーでもあり、今井さんが働くフリースクール空の代表でもある西村です。

西村:今井さんは、最近まで愛知県県民で浜松に引っ越してきた。昼間の定時制を卒業し、芸術大学で音楽を学んで、特別支援学校で3年間音楽の先生をしていたのを辞めて、フリースクールに来てくれた。
小学校と中学校で、2回不登校になったと聞いている。いつ、どんなきっかけだった?

今井:きっかけは、忘れてしまったけど、その時はもちろん苦しかったし、たぶん、先生が怖かったとか友だちとなんかあったとか、たぶん毎日そのことを考えていた。学校は、絶対行きたくない、なんでみんな行かせようとするんだと考えていたと思う。
まず、小3で行かなくなって、小4の先生がすごく良い先生で、保健室登校とかお母さんがついてきても大丈夫ですよと言ってくれたので、毎日うちだけ授業参観みたいだった。小5、小6と通えるようになって、でも継続は難しくて、行ったり行かなかったり。中学校に入学して、夏休み明けに行けなくなった。
自分のことをまとめると、自分は完璧主義だった。友だちが困ってたら優しくしてあげなきゃいけない、先生のいうことは、ちゃんと聞かなければいけない、お母さんがああ言っているからがんばらなきゃいけないとか思っている間に疲れて、中学の時は体調が悪くなって行かなくなった。


西村:体調が悪くなったというのは、病的なことがあった?

今井:最初は、食べたものをもどす感じから始まって、学校を休んでから摂食障害で拒食症、過食症を繰り返し、そのあと幻聴がすごくて「死ね」と「殺せ」とかが聞こえて、「トイレットペーパーをここで切れ」みたいのも聞こえて、指定とかの幻聴が聞こえてストレスだった。不眠とかもあった。

西村:定時制に進もうと思ったときは、症状はある程度消えてた?

今井:幻聴は、たまにあったけど、生活には支障なくなっていた。拒食、過食はあった。

西村:その頃、両親とか周りから言われて嬉しかったことや嫌だったことは?

今井:両親に言われた嫌だったのは、1年くらい引きこもって、車に乗るのもやっとだった頃に「歌が上手になりたい」と思って調べたら、家の近くに音楽スクールがあるのがわかって、両親に言ったら「歌手になるわけでもないのに」と言われて、最初は通わせてもらえなくて、それがすごくショックで嫌だった。両親にとってはそうだったかも知れないけど、私は歌手になりたかったのではなくて、歌が上手くなりたかったのに、せっかくやりたいことがみつかったのに、なんでと思っていた。
今日は、これだけは声を大きくして言わないといけない思った。
「本人と親の幸せは違う、なにかやりたいとお子さんが言ったら、すごく勇気を振り絞っていったかもしれない。私がそうだったから、応援してもらいたい。親も応援できないことがあるかもしれないが、ダメって言われても子どもはどこまでできるか交渉して頑張って、親には応援してほしい」と思う。


西村:それで、音楽スクールは行けずじまい?

今井:そのあと、たぶんお母さんが、こういう進路相談会とかカウンセリングみたいのも行ってたから、娘のことを相談したと思う。急に「行っていいよ」と言いだして、コロッと意見変える、そういうこともイラっとしてた。
お母さんも悩んでたから、それで通わせてもらえて、送り迎えもしてくれて行けたことで、そこから開けた。


西村:今井さんにとっては、音楽が心の支えであり、外へ出るきっかけにもなったと思う。両親の努力もあった。定時制高校に通うことは勇気がいたと思うけど、高校生活はどんな感じだった?

今井:高校生活は、めちゃ楽しかった。でも、最初は普通の学校生活ってどんなのかなと、1回やってみようと思った。自分のメンタルが弱いことがわかっていたので「友だちは、絶対つくらないようにしよう。喧嘩したら、学校に行けなくなる。絶対、卒業する」と決意して行った。でも、結果的には、めちゃくちゃ友だちができて楽しく過ごした。文化祭は、楽しかった。
西村:文化祭は、歌いました?

今井:はい。

西村:そのあと、教員免許を取ろうと思ったのは?

今村:中学校時代に通ったボーカルスクールのマネージャーが、結構ちゃらんぽらんで自由な人で、私はその人のことが好きだった。ちゃらんぽらんに見えるのに教員免許を持っていた。ちゃらんぽらんでもかっこいい、私も教員免許ほしいと思って、免許を取れるのが芸術大学だった。

西村:特別支援学校で、3年間働いたのはどうだった?

今村:めちゃくちゃ楽しかった。特別支援学校で働くぞ!みたいな意気込みはなかったけど、たまたま1年間の臨時教員を募集していた。1年ならできるんじゃない?と思った。ずっとだと、辞めたくなると思った。
1年の任期で入ったけど、「来年同じクラスにしてあげる。生徒の成長をみたいでしょ」と教頭先生に引き留められて、また「向いてるから頑張りなさい。卒業をみたいでしょ」と言われて、3年間務めた。
特別支援学校は大好きだったけど、そのクラスの中に不登校の子がいて、副担任だったけど、学校サイドにいると気持ちがわかるから「学校にきて」と言いたくないし、でもきてくれないと話もできず、何もできなかったので辞めた。


西村:3月の終わりごろに、フリースクール空のブログをみて、どうしても空にいきたいと連絡をもらった。なぜ、安定した生活を辞めたのかと思ったけど、不登校の子に関わりたいという気持ちがあった。いまは、メインのスタッフとして働いている。
いま、日々不登校の子たちと接していて、何を考え何を願ったりする?

今井:まず思うのは、「今日もきてくれてありがとう。うれしいよ」ということ。自分のことだめだという子やこれができないとか、人と比べてしまう子が多いけど、自分もそうだった。だめだとかいう気持ちはわかるけど、過ごしても、1日は同じだから・・。
〇と丸がちょっとかけたCみたいな丸を書くと、丸の欠けたCに注目するけど、でも今日も朝起きれて、ちょっと気が向いて勉強ができたりするとか、生きているだけで良いと思う。足りないとか足りてないとか、視界を狭めていくよりは「今日これできた」「おいしいもの食べた」とか、そういう感じで過ごしてほしいなと思う。
人とのことが気になって比べてしまう子がいるけど、私はお寿司が大好きなのでお寿司で例えると、西村さんがサーモンで、他のスタッフがしゃりで、私が醤油みたいな、それぞれ得意なことが違い、良い場所が違う。醤油のバリエーションは少ないけど、ちょっとでもあるのとないのとは違う。そんな感じの私でいたい。上手く言えないけど、「みんな持ち味違うし、それぞれ良いところも違う」と伝えたかった。


西村:オールラウンド、全部できるまったく必要はないし、発達の得意なところが突出して何か不得意だとか、凸凹が大きい子ほど学校に行きづらい。
学校に通うのは人生の早い時期だけ、残りの人生のほうがずっと長い。仕事を始めてから、結婚してから、子育てしてから、あと人生の方が、ずっと長くてその中から学ぶことが多い。
今井さんのように、不登校だったけど大学にいって教員免許を取って先生になったという話は、サクセスストーリーのように聞こえるけど、まだまだ傷ついたり苦手なものを日々克服したりしている。
まだ、10歳そこそこしか生きていない子どもができないとはたくさんあるのは当たり前。いまうちに自分はこういうことが苦手なんだなと、自分で自分を知る時期が不登校かなと思う。
今日参加されているご両親、不安を抱えている方は多いと思うのですが、大丈夫ということを伝えて終わります。

次回の相談会は、10月17日(日)ワークピア磐田で開催となります。Zoom参加も受け付けます。



  


Posted by hiro at 00:23Comments(0)お知らせ活動事業

2021年09月12日

9月19日の「2021不登校生のための進路相談会」についてのお知らせ

9月19日の「2021不登校生のための進路相談会」についてのお知らせです。
コロナウイルス感染による緊急事態宣言が9月30日まで延長されたことから、会場参加者の申し込みを締め切ります。Zoom参加者の申し込みは、受付します。Zoomを利用したことがないという方は、お問い合わせください。



  


Posted by hiro at 21:21Comments(0)お知らせ

2021年07月11日

第一回「2021 不登校生のための進路相談会」を開催しました

7月4日、第1回「2021不登校生のための進路相談会」を開催しました。
12組19名の参加者(うちZoom参加2名、子ども1人)がありました。
初めてのZoomでの開催はトラブルなく行うことができ、「参考になりました」というご意見をいただくことができました。
高校からの進路指導担当の先生、子どもの居場所、フリースクールの代表やこれからフリースクールを開設する方の参加がありました。

今回の体験談は、小4から不登校になり、小6から通ったフリースクルーに通い、通信制高校を卒業して、フリースクールのスタッフとして働いている伊藤朋美さん。
当日は、静岡新聞の取材にも対応してくださったので、今回は実名での体験談を掲載します。


質問者は、当団体代表(フリースクールドリームフィールド代表)です。

伊藤:小4から不登校になり、小6から通ったドリームフィールドに通い、中学校には一日も登校したことはない。静岡中央高校に3年間通い卒業して、ドリームフィールドのスタッフとして働き、いまもフリースクールに通っている子どもたちのサポートをしている。

大山:最初来たのが、小学校6年生、そのときのいきさつは?

伊藤:幼稚園の頃から、集団行動が苦手で、幼稚園の先生が母親に「萌美ちゃんは、いつでも一人で遊んでいるんです」という子だった。自分は、それが楽で自覚がなかった。小学校に入学すると女子の派閥の中で、上手くやっていく技術身につけなければならくて、陰口をいうのに賛同しなければならなくて、陰口を言わないと自分が対象になる。それに賛同するの自分が嫌だし、友人関係にすごく疲れていた。でも、自分が疲れていることには、小学校低学年の頃は気づいていなくて「なんで仲間はずれの対象になるんだろう」翌日学校に行くと「なんで無視されるんだろう」という疑問をいだき、学校にいきたくないなということを繰り返しながら低学年を過ごし、順調に学校に通っていたわけではなかった。
小学校4年生の時にクラス替えがあり、そのときに「終わった。この中でやっていけるわっけはない」と思った。その時は、学校にいけなくなる理由が、自分の中で友達関係が上手くいかないということを自覚していなかった。始業式が近づくに連れて体調が悪いことが増えて、理由は分析できていなかったので、「なんで学校に行きたくないのか」、親も「なんでいかないんだろう」、クラスの子もなんで学校にこなくなったんだろう」、近所の人も「なんで学校にいかなくなったんだろう」という印象で、すごく静かにストレスをためていて、学校に通えなくなった。結果的には、通わなくてよっかたのではないかと自分では、ずっと思っている。
小学校4年生で学校に行かなくなり、そこから人と会うのが怖くなった。外に出たら、買い物に行っても病院に行っても同級生に会うので、1年間はひきこもっていた。5年性からは友達に会っていたけど「学校に行けてた方がいいのかな、でもいきたくないし」とモヤモヤを感じていた。
6年生のときに親がドリームフィールドができるのを知って、親は通えることを期待していたわけではないけど、自分の中で何かここならと思って「行ってみる!」となって、いまがある。

大山:不登校になって、家の人の反応はどうだったの?

伊藤:私の家は、7歳上の姉が不登校になっている。姉は、大変な思いをしていて、親も祖父母もどう対応していいかわからなかった。姉が精神的に、どんどん悪くなって、姉のおっかげで、私が不登校になっても受け入れられた。母もすごく私が行かないことで悩んでいたみたい。ある時、「学校に行ってない」と言ってしまえばいいんだと、開き直ったら楽になったと言っていた。

大山:お姉ちゃんと対照的だったのは、お姉ちゃんは追い込まれていた。親は悪意を持ってではなく、本人のためを思っていたつもりだけど追い込まれた。もみちんの場合は、そんなに圧がかからず、親が開き直ってくれて、自分らしさを持つことができた。
親が本当に闘うのは、「学校に行かなきゃダメ、学校に行かせなきゃダメ、学校を出ていないとダメ」という既成概念、固定概念だが難しい。
フリースクールにきはじめの頃は、こうでなければいけないというのはあったの?

伊藤:誰かに悪口を言われなくて良いという世界があるとは知らなくて。ドリームフィールドに通い始めて、だんだん自分らしくいても悪く言われたり、仲間外れにされることがないんだと思った。

大山:学校だけではなく、社会の中でも窮屈な集団もあるし、自分らしく生きれる場所もあるし、自分らしく生きられる場所を見つけることが大事かなと思う。
ドリームフィールドにきて、一番の支えになったのはベースかな?

伊藤:そうですね。ドリームフィールドは、私が入ったころからバンド活動をしていて、その影響を受けた。
きっかけは、「サルサガムテープ」という障がいのあるないという関係なくかっこいいバンドで、女性がエレキベースを弾いていた。私の中では、女性はピアノをやる、歌を歌うイメージがあって、そのバンドをみたときに、そのイメージが覆されて、女性のベーシストがかっこよくて、バンドがエネルギッシュで、私もやってみると始めた。ここまで続けると思わなかったけど、いまも弾いている。

大山:ベーシストは、かおりさん。ブルーハーツの梶原さんも入っているバンドで、梶原さんは月一でフリースクールに講師にきてくれている。

伊藤:ベースを始めたことで、すごく自分に自信がついた。自分のことを認められることが増えて、学校に行ってたら楽器を始めることはなかった。12歳の終わりから始めたけど、学校に行ってなくても、新しい趣味ができて、学校に行ってない方が良いんじゃないと思った。ベースに助けられた。

大山:さらっとベースをやってると言ってるけど、もみちんのロックなグルーヴがあって、いろんなグループとやっているけど、本当に気持ちがいい。
スクールオブロックというイベントに参加して、スクエアというバンドの人がみていて、ヤマハの人から連絡が来て、「是非、東京にでてきてやりませんか?」と誘われたけど、サラッと断ったよね。

伊藤:あまりにも冒険する気持ちがないので、東京ってわからないし、普通に弾いていても楽しいし、満足していた。

大山:自分なりに自分の生き方を選んで、自分で判断するというのはすごい。
舞い上がって、プロに呼ばれたと東京に行ってこようとあるけど、保障してくれるわけではない。来たら来たで、どこまで面倒見てくれるかわからない。
サラッと断って、他のベーシストとしたら、何で断るのとなるけど、自分で判断できちんとできたのはすごい。
その頃から、学童(児童デイサービス)に関わってもらって、いまは常勤のスタッフとなっている。
そこまで、いろいろ迷いもあったと思うけど。学童の子と中学生以上の子と関わることは違うけど、その辺りはどう?

伊藤:みんな不登校を経験しているのは同じだけど、それぞれ理由も抱えているものも、こだだわりも違うし、自分がこうだったというのが必ずしもあっているわけでない。いまでもそうだけど、悩んでいる子に本当にアドバイスや接し方ができているかなと、ずっと思いながらやっている。

大山:自分たちの仕事は、日々悩むことは大事で、常に関わりながら悩んでやらなくては。
なぜなら、みんなそれぞれ違う個性をもっているから。
静岡城北通信制高校に行っていたころの話を聞かせて。

伊藤:自分より、上の人が通っていたし、困ったときに一緒に通える人がいるという心強さがあった。私自身、学校が変わっても学校は合わないと思っていたけど、高卒の資格は取りたいと思っていた。静岡中央高校は、無理に友達を作ったり、クラスの中でみんなでやりましょうというのがなくて、自分のペースで学びたい気持ちを優先した。人間関係に無理に取り繕っていく場所を選ぶよりは、ドリームフィールド通いながら、静岡中央高校で勉強したいと選んだ。

大山:入ってみて、どうだった?もみちんの場合は、ペースよくやっていたようだけど?

伊藤:でも、行くの嫌だった。順調に行ってたかというとそうではなかった。勉強自体は嫌ではなかったけど、新居高校へのスクーリングやテストに行くとき、浜松駅から乗り換えるときに「いまなら帰れる」と思って、嫌々いいながら通っていた。
ある日母に、「そんなに嫌なら行くのやめても良いよ」と言われたら、「やっぱいくわ」となった。やめる選択肢があるとわかったのが良かったのかな。それからは、コツコツ単位を取るように行こうと思って3年間行きました。

大山:無理して行かなくてもいいという選択肢があることによって、救われることがある。

伊藤:1回は行ったら、ちゃんと通わないというプレッシャー、高校に限らず、何でも続けなくてはいけないのかなと思う。逃げるのも一個の選択があると、自分に合わないならやめてみるのもありかと思ったところで、もう少し行ってみるかと通っていた。
3年で卒業したから頑張ったねじゃなくて、早く嫌なことを終わせたかった。
自分のペースで5年、6年通えるのもすごいなと思うので、早くければいい遅いのはゆっくすぎるとは思わない。

大山:いまは、専任スタッフとしてやっていると、いろんな特徴のある子がいる。
もみちんはコツコツやれる人、突発的な対応もできるようになってきている。
参加者の子どもさんも、いまの状態だと社会に出れるんだろうかと不安があるかもしれないけど、その子にふさわしい場所とかその子の特徴を生かせる場所がいけば、社会の中で活動できる。ストレスが強い場所だと、その子の個性や特徴が出やすい。もみちんもストレスが強いと、不安が強くなる。
子どもさんが特徴的で困っているということは、ストレスかかっているかもしれない。学校に行かなくてもいいという選択肢がなくて、周りが行かなくもいいと言ってもこだわるかもしれないストレスかかかっているかなとみてあげるといいかなと思う。
もみちんの経験値も上がって、スクールカウンセラーばりに話も聞けるしアドバイスもできる。
これからの抱負、こうしていきたいということは?

伊藤:自分の持っているイメージで、子どもを決めつけない。決めつけると自分をせばめることにもなる。自分の印象で、できるできないの枠に納めない。人はすごく変わると思っているので。

大山:やらせてみようと指示的なものでなく。

伊藤:強要するものでない。私のベースもそうだけど、印象的にはやりそうではなかったけど、きっかけがあればいい方向でやることになると思う。

大山:自分ももみちんがベースを始めると思わなかった。でも、きっかけがあって始めた。人間は変わっていく、子どもは無限の可能性があると思っている。

次回の相談会は、9月19日(日)13:30~アイミティ浜松です。









  


Posted by hiro at 22:08Comments(0)活動事業

2021年06月02日

「2021 不登校生のための進路相談会」を開催します

今年度も、「2021不登校生のための進路相談会」を、4回開催します。
新型コロナウイルスの感染予防対策を行い、開催します。
また、赤い羽根共同募金の新型コロナ感染下の福祉活動応援全国キャンペーン「第3回 withコロナ草の根応援助成」の助成金を活用して、Zoom参加も受け付けします。

感染拡大、緊急事態宣言等がなされた場合は、中止になることがあるかもしれませんが、その際は個別相談等の受付を行います。


「子ども不登校だけど、高校に行けるのだろうか」「このままひきこもりになってしまうのではないか」「発達障害の子どもは、どうしたら社会的な自立ができるのか」、悩む保護者の皆さんに、「子ども育ちレスキューネット」は10年以上寄り添ってきました。

子どもたちを支援するネットワークである本団体では、不登校であっても進学可能な高校、高卒認定試験(高等学校卒業程度認定試験)などの情報提供、個別相談の場をつくってきました。昨年度からは、「社会的自立」に向けた地域のサポート情報もお伝えしています。
中学校で不登校を経験し、その後進学、就職した子どもや保護者の体験談も聞くこともできます。 どうぞ、お気軽にご参加ください。

〇内容
13:15~受付
13:30~15:00
・高等学校、高等学校卒業資格認定試験に関する説明、公立、私立高校の入試、入学後の受け入れ支援体制、義務教育卒業後の自立に向けた支援体制等の情報提供
・不登校を経験しその後進学、就職した子どもや保護者の体験談
・「社会的自立」に向けた地域サポート情報提供
15:00~16:00
不登校生に関する進路及びなんでも悩み個別相談

〇開催日と会場
7月4日(日)9月19日(日)
アイミティ浜松 浜松市中区船越町11-11 会議室3 TEL053-465-5065
10月17日(日) 
ワークピア磐田 磐田市国府台57-5 第3会議室 TEL0538-36-8381
11月14日(日)
浜松市市民協働センター 浜松市中区中央1-13-13 TEL053-547-2616    

〇希望者には、学習支援を行います(要個別相談)

〇参加費等
参加費無料、予約申し込みをお願いします。
定員:各会場20名(Zoom参加は、制限なし)
参加予約方法:e-mail viancafirst@xvg.biglobe.ne.jpまたは090-3936-5840(事務局服部)
②参加者氏名②参加日③会場又はZoomを選択④連絡先 をお伝えください。

〇対象者
 不登校生(中学・高校等)、高校中退者、引きこもりがちの若者とその保護者の皆さん、教育関係者、不登校支援に関心のある方

〇主催 子ども育ちレスキューネット 
(西部地区の子ども関係NPO団体やカウンセラーからなる団体)
 https://childrescuenet.hamazo.tv/

〇後援 
浜松市・浜松市教育委員会・磐田市・磐田市教育委員会
静岡新聞社・静岡放送 中日新聞東海本社(予定)
赤い羽根共同募金「withコロナ 草の根助成応援」事業 

〇新型コロナウイルス対策について
・参加者の人数を把握するために、参加申し込みをしてください。
 当日の参加は、定員に達している場合はお断りさせていただくことがあります。
・体調のすぐれない方の参加は、ご遠慮ください。マスクの着用を、お願いします。
・会場では、健康チェックシート、アルコール消毒・換気等の感染対策防止を行いますので、ご協力をお願いします。
・感染拡大などによる状況に応じて、中止になる場合がありますので、Facebook・ブログで確認をお願いします。中止になった場合は、後日個別相談等の受付を行う予定です。

〇お問い合わせ・当日連絡先
 090-3936-5840子ども育ちレスキューネット服部




  


Posted by hiro at 23:15Comments(0)お知らせ活動事業ネットワーク

2020年12月08日

第4回「2020 不登校生のための進路相談会」を開催しました。

11月29日、第4回「2020 不登校生のための進路相談会」を開催しました。
今年度の相談会は、新型コロナウイルスの感染拡大が心配される中、参加者の皆さんのご協力があり、無事開催できました。

4回の参加者は63名(子ども5人)、今年度は中2の相談の参加者を中3を上回りました。また、小学生の相談は、年々増えて、発達障がいの診断を受けている子どもさんの進学を心配しての参加となっています。
新型コロナウイルス感染による休校の影響による不登校やいきしぶりの相談がありました。
進路先を「私立通信制高校を考えている」という相談が増えて、体験談を話してくれた生徒さんを囲んで話したり、学校や支援先の資料を熱心にみていかれます。

今回の体験談は、兄、妹で大平台高校定時制に4月から通っているNさん親子3人です。
昨年の相談会に参加したNさん親子は、大平台高校定時制に通っている子の体験談を聞いて、楽しそうだと思って気持ちが動き、4月から、兄のRさんは大平台高校定時制に編入、妹のYさんも大平台高校定時制に入学しました。お母さんのサポート体験も話していただきました。

Q.高校生活は、どう?
Rさん:とても、充実しています。朝は7時半くらいに家を出発して、8時45分と10時45分からの授業がある。単位制なので、日によって授業時間が変わる。編入したので、始まる時間も終わる時間も早い。英語と数学が好きで、科目担当の先生が特にわかりやすく教えてくれる。
※Rさんは、私立通信制で、30単位とっている。大平台高校定時制では、10時45分に始まるⅡ部に編入して、8時45分に始まるⅠ部の授業も取っている。去年の高卒認定試験で4科目取っているので、大平台高校定時制では単位を取らなくてよいので、その分単位を取らないので通うのは楽になる。来年度に卒業予定。

Q大平台定時制に行こうと思ったのは?
Yさん:相談会で体験談を聞いたこと、自分がどのくらい学校にいけば、単位が取れるとわかった。陸上をやっていたので、部活があったこと。陸上部は全日制と一緒で、練習日を自分で決めることができる。毎日に通っても、苦にならない。3年卒業で、2部の4時間授業で、週に2回6時間授業でもストレスなく通っている。中学校は、2年の後半から通っていなかったけど、高校はほとんど皆勤賞で通っている。

Q.先生との距離は、近い?
Yさん:めちゃ近い。一時期は、お昼を一緒に食べていた。部活の先生とも雑談しにいく。
前期と後期の授業が違うけど、前期に取った科目でも進路のこととかわからないことを担任以外でも教えてくれる。先生ともしゃべりやすい、先生怖いっていうのは全くない。

Q,Rくんは、大平台入学前からバイトしてたけど?
Rさん:昨年12月末から、スーパーでバイトして、編入後は土日祝日基本7時から12時の仕事になって、9月から肉をトレーに入れる作業をしている。今日は、バイトを1時間切り上げてきた。
Yさん:8月から、ハンバーガー屋でハイトを始めた。大学生や年上の人が仕事を教えてくれる人がたくさんいて続けていられる。私も土日祝日を主に、3~4時間でストレスにならない。平日に部活もやっているので、支障にならない。

Q.二人をサポートしてきたお母さんに、いままでと現在のこと話してもらえますか?
母:二人とも個性的過ぎて。兄は、人と話すのが苦手でコミュニケーション取らなくてもいいタイプ、妹はスポ魂みたく中学校でも部活やっていて、部活でいろいろあってフリースクールに行くようになって、兄も私立通信と合わなくてフリースクールに入った。
義務教育だから通わせなくてはいけないと思っていた。子ども達も思っていたが、フリースクールに通うようになって、「頑張らなくても良いんだよ、自分のできることをやっていけば良いんだよ。選択肢は、その中から選べば良いんだよ」というところを教えていただいて、肩の荷がおりた。
やっと私立通信制高校に入って、月8万の月謝を払いながらも学校に通えずにいる、部活を行きたいのに行けなくて家でもやもやして、ナイターで走っている子を見ていると心が痛んだ。フリースクールに通って、身辺自立もできるようになり、歩いて学校にいくの苦だったのが、結構な距離あるフリースクールにまでバスの乗り継いで、コロナで学校休校中の時期は自転車で通った。
規則正しい生活だったり、学習支援していただいて、いまに繋がる。兄の高卒認定試験のことも、手続きから教えてもらった。妹は学校から「公立高校の試験だから、ちゃんと5教科勉強しないと」と言われて、塾も継続して通っていたけど、学習支援もしてもらった。学校の先生の言ったことを真に受けて、ずっと熟に通っていたけど通わなくてよかったかなと思う。そんなに点数のことを気にしないで、いままでのことより、これから自分がどうしたいか、どういう職業につきたいかと描いていれば、たくさんチャンスがある学校だと思う。

妹が入学したとき「イグジットがたくさんいる、金髪やピンクの髪の毛がいて、すごいジャングルみたい」と言っているときがあった。手帳を持っている子もいるし、外国籍の子もいる、先生方が寛大です。兄は、コミュニケーションをあまりとらなくても、バイトしていることを知っていたり、「90日働くと教科書代タダだよ」「こういう進路先があるよ」とか、妹には「陸上やりたかったらくれば、好きにして」と、選択肢をいっぱい与えてくれるけど「自分たちでやりたいようにやっていけばいいんだよ、焦らなくていいんだよ」と言ってもらえるのは親としては安心できる。
去年は、どよーんとした家のなかで、学校から連絡が来ると「どうなっているの」というとドアを塞ぐ娘と高卒認定の試験でピリピリしている兄だったりとあったけど、いまは「そんなこともあったね」と笑って話せるようになったのは、いまが充実しているのかなと思う。
高校に入ってからは、弁当を作ることしができないけど、子ども達からはいままで聞いたことがなかった学校の情報をきくことができる。

Q.Rさんの高校の選択肢は、大平台高校がなかった?
母:兄は、手帳を持っていて、小学校から発達級できていた。中学に入学するとき、高校受験をしたいので中3のときは、発達級でなく普通級で卒業という話だった。先生の異動で引き次ができていなくて、進路相談は通信制一択だった。こんなたくさん情報があることも、大平台定時制のこともしらなかった。定時制は働きながら通うイメージではなくて、いまは発達級に通う子どもでもやりたいことがあれば受け入れないわけでなないという感じ。通信制は、発達級からいく子が多いのかな。娘の普通級の子どもに先生方が熱心に進路指導を行うなかで、発達級の情報が少ないと感じた。職業訓練校か大平台にいくか考えて、大平台したが、情報は欲しいのが正直なところ。

Q.編入試験は3教科、入学試験は5教科、集団面談と個別面接、受験はどうでした?
Yさん:まったく勉強をしなかった、点数はどうだったかわからいけど、面接重視だと思う。
グループ面談は質問は3つくらい、個人面接はぐいぐい聞かれるので正直に答えればいい受かると思う。質問は「なんで中学校いけなくなったか」「得意科目」「尊敬する人」で、勉強に関することではないので考えずに素直に答えればいいと思う。
Rさん:個別面接にきかれたことは覚えてない。数学と英語は自信があった。

来年度の相談会の予定は、ブログ、Facebookでお知らせします。
  


Posted by hiro at 19:08Comments(0)お知らせ活動事業

2020年10月28日

第3回「2020 不登校生のための進路相談会」を、開催しました。

10月25日、第3回「2020 不登校生のための進路相談会」を、開催しました。
年1回の磐田市での開催に、13組21名(子ども2人)の参加者があり、今回は、中学3年生の参加者は少なく、中学2、3年生の参加者が多く、事前に高校の情報がほしいと参加したようです。
今回も、浜名高校定時制の中村先生から、定時制のお話をしていただきました。

〇定時制ってどんなところ?

新居高校定時制の中村先生のお話

・働きながら学校に通っている生徒というイメージがあるが、正社員で働いている生徒はいない。不登校だった生徒1/3、外国人や発達障がいがあると思われる生徒が1/3ずつkらい。
・定時制は、4年制だが、3年で卒業することもできる。3年で卒業したい生徒は、学校で応援する。1年生のテストで、選抜する。
・定時制は、単位を落とすと留年がある。中央高校通信制で、単位を取ることができれば4年で卒業できることもある。5年生がいることがある。
・入試は、作文、面接。作文は、5つのテーマから選んでその場で書く。大平台高校、浜松工業は、5科目になる。面接は、1次は集団で、2次は個別。1日で終わる。
・定員は、1学年40名定員。卒業まで、一割くらいは中退している。進路がきまらずに卒業する生徒は、3割くらい。

今回の験談は、中3からフリースクールに通い、現在中央高校通信制2年生のY君。

Q、小学校からの不登校だった?原因は、いじめだった?
A.そう。今考えたとき、今の自分と比べるとやる気とかがなかった、勉強がいやだったからいかないという感じだったのかなと、今は思う。

Q.今振り返るとそうかもしれないけど、その頃は混乱状態だった?
A.そう、思う。

Q中学校は、私立の中高一貫の入ったけど、中2で行かなくなった、そのときは?
A.そのときの学年主任の先生が、あまり良くなかった。生徒間、先生間のいじめがすごくあった。
先生が辞めたり、自分もいじめにあっていて、行きたくなくなった。

Q地元の中学に行きたくなくて、私立に行ったけどいじめがあったということ?
A.そういう感じ。ほほ、一学期のみ行った。。

Qそのあと、家にいた感じ?
A.学校には行かなかったけど、趣味の鉄道を乗りに行くこともあったので、家からは出ていた。

Q.天竜病院に入院して、天竜特別支援学校にいったのは、何年生のとき?
A.中2の夏くらいから1月まで、退院して戻ってきた。天竜特別支援学校には、ほぼ1日.いった日もあった。先生が、すごく親身になって接してくれた。先生って、こんなに優しいのなら行けるかもと思った。

Q.退院すると在籍校に戻るわけだけど、在籍校には行けなかった?
A.中2の3月までは行けていた。そこまでは天竜病院から、こうしてほしいお願いされいたことがあったけど、中3にそれをなくされた感じになったので、苦痛になった。

Q.中3の夏ごろに、スリースクールにきて「高校どうしよう」となったとき、中高一貫の学校に戻る気はなく、大平台定時制か中央高校通信制か考えた?
A.天竜特別支援学校も考えたが、距離が遠くてやめた。最終的は、2つになった。
中央高校通信制だと、自分の時間がすごい取れる。いままで小中学校は趣味もあるし、学校に行かなくてはいけないと自分の時間がなくて、大平台だと同じだと考えた。
自分の趣味も学校も両立できるのは、中央高校に決めた。

Q.中央高校に入って、去年は単位も全部取れて、高卒認定試験で地理と国語総合を受けた。そんなに、勉強しなくても受かった?
A.そこまで本気でやったとは思っていない。過去問題集を少しやった感じ。再来週は、数学Ⅰと現代社会を受ける。(高卒認定試験で取れた単位は、中央高校通信制の単位となる)

Q.最近、バイトも始めた?
A.高齢者の施設で、週2回掃除や配膳をやっている。中央高校の勉強、趣味と全部、同じくらいのペースでやっている。

Q.最近は、バイクもやっている?
A.最初1年目は、中央高校にも行く気が起きなくて。「移動手段を兼ねて、原付免許でも取ろうかな?」と母に相談したら、「免許とっただけでは怖いから、125ccを取ってきなさい」と言われた。中央高校の勉強を頑張ったせいか、教習もフルタイム行けて面鏡が取れて自分に自信がでてきた。バイクに乗っていて、自分の他人も守らなければならない、自分に自信がなければ怖くて運転できない、そこで自信がついて、2年目に入ってバイクで学校に通いながら、フルタイムで学校に通っても苦でなくなった。

Q.公共交通機関が苦手な子がいて、自転車で遠くまで可洋子もいる。バイクに乗るようになって、行動範囲が一機に広がった?
A. 鉄道は好きだったけど、学校にいくために電車でいくのは・・と思っていた。バイクに乗りたいから、学校にいくという原動力になって、休むことが少なくなった。

Q. 将来の夢は?
Aいまのところ、大井川鉄道のSLの機関士になること。

Q 前向きになれたのは、どうして?
A.いままでの経験してきたことが、全部影響になっているとは思う。
フリースクールに通って人に関わったこと、天竜特別支援学校の先生に関わったこと、
中1にドイツに行って「世界ってこんなに広いんだ」と思って、「やりたいこと仕事にしないと長続きしない、やりたいことをやるために頑張ろう」という感じになった。

Q,バイクに乗り始めたころ、いじめた子に見せにいきたいと言っていたが、いじめた子に言いたいことはある? 
Aいじめの原因って相手にもあると思うけど、自分もゼロと思わない。自分もそこは謝って仲直りしたいと思う。

Q参加者の保護者と子どもに伝えたいことは?

A.ますは、子どもに。不登校で悩んでいるときに、無理に自分を外へ出すとか、学校に行くはやらなくていい。自分がやりたたい、あそこに行きたい、学校に行きたいとか、そういう気持ちがでてきたときにいくとると、すごい自分が変われるきっかけになると思う。
きっかけを作るのは自分だけだと自分だけだと大変なので、それは親に協力してもらうと未来が開けると思う。夢はあった方が、自分が頑張れる原動力になる。職業だけではなく、やりたいことでいい。
親には、自分は干渉されるのが嫌で「放っておいてくれ!」と感じが多かった。何かをやりたい、こうしたいとでできたときに、全力でサポートすることが、子どもにとって一番良いとことだと思う。


次回の相談会は、今年度最後になります。11月29日(日)13:30~「アイミティ浜松」になります。
個別相談は、いつでも受け付けます。


  


Posted by hiro at 00:42Comments(0)お知らせ活動事業